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有馬 次宗    07.14.2007
有馬 次宗



 青空が広がったよく晴れたある日の事。
眩しい朝の太陽に照らされながら、あたしと禿のおりんは揚屋から松田屋に向かって歩いていた。
「ねえ、木蘭姉様。」
まだ小さなおりんはチョコチョコとあたしの後を追いながらふと尋ねた。
「何?」
眠いな~、とか思いながらボーっと歩いていたあたしはちょっと不機嫌な声で答える。
「木蘭姉様。姉様は本気で“恋”した事ある?」
「はあ?」
まさか突然十歳かそこいらの少女からそんなませた質問をされるとは思わなかったあたしは吃驚して気の抜けた声を出してしまう。
おりんは、眉を顰めているあたしを見て
「ううん、やっぱいいやっ。」
と顔を赤らめながら呟くと、あたしを置いて走り出した。
「あっ。こらっ、待て!!!」

清清しい風が心地良い青空の下。

あたしは着物の裾を持ち上げ、おりんを追ってを走った。



 

 

その人は、あたしがまだ無名の遊女だった十六歳の時。
楓姉様目的でやってきた有馬惟宗さんについて揚屋に遊びに来た。

彼の名は、有馬次宗。

名門有馬家の次男。

妻を何年か前に亡くし、三十代の男やもめながら一人息子を育てている子連れ狼で。
あたしは彼らが待機している部屋に足を踏み入れた途端、お座敷の奥で胡坐をかいて莞爾と笑いながら酒を飲んでいる彼の姿に釘付けになった。

特別目を引く美形でもない。
ただ精悍で、体格が良くて、年相応の渋い魅力に溢れた男の人で…。
その健康的な笑顔に吸い込まれそうになったあたしは、始終彼から目が離せないでいた。

あたしと十七も歳が離れているけれど。

そのうち、あたしの熱い視線に彼も気付いてくれて。
何度か惟宗さんについて揚屋に上がった後、あたしを個人的に指名してくれるようになった。

 

 

「惟宗がいつも世話になっているな。」
初めて二人きりになった夜。
彼はそう言って話を切り出した。
「ええ…まあ。」
いつも楓姉様と喧嘩したり暴れたりして迷惑がかかっていると、素直に本音を言っても良いのだろうかなどと言葉を濁しながら考えていると。
あたしの表情を読み取ってか次宗さんは、
「あの馬鹿もここまで来て人様に迷惑をかけているようだな。恥ずかしい限りだ。」
と苦笑した。
白い歯が覗いた浅黒い逞しい彼に顔を覗き込まれると、体中が火が吹いたような火照りを覚える。

そう。
もう既に気付いていた。

あたしは、この溢れ出そうな想いが尋常ではない事を。
この人を、客以上の存在として見始めていた。
それは、歳の離れた男に対して誰もが持つ憧れのようなものの延長線上にあって。
それでも、あたしは彼を一人の男として欲っする自分に気付いていた。
彼の前では心拍数が上がってしまって声も出ないあたしに気づいているのかいないのか。
「お前は絵を嗜むか?」
落ち着いた低い声音で尋ねると、次宗さんは懐から懐紙と筆を取り出して何かをすらすらと書き始めた。

「俺は根っからの武人だが、水墨画は幼少の頃から趣味でね。今でもたまに嗜むんだ。」
と浅黒い顔を仄かに赤らめ照れながらそっとその紙をあたしに差し出した。

それは一本の墨で描かれた見事な菊の花であった。

「すご…っ。すっごいお上手…。あたし狂歌と囲碁と琵琶だったら自信あるけど、絵の才能は皆無だから…。」
感嘆しているあたしを優しく見つめる。
彼のごつごつとした指が、絵を持っているあたしの手に触れた。

その触れ合った場所が、痺れた。

心臓が、一人でに鼓動を速めていって…。

「惟宗には俺がここに通いだした事は内緒だぞ。またあいつに絡まれたら五月蝿いからなあ…。」
はははと大口で豪快に笑いながら、彼はあたしを広い胸の中にそっと抱き寄せた。

 

あたしの常連となり、定期的に松田屋に足を運ぶようになった次宗さんと会える日は、とびきりお洒落をして着飾った。
「まるで恋する乙女ね。いい事だわ。」
そう言ってくれたのは、あたしの尊敬していた楓姉様で。
恋というものは女を美しくするものらしい。
周りの禿や遊女達からも、
「綺麗になったね、木蘭ちゃん。男かしらぁ??」
と冷やかされた。

 


そのまま、彼と知り合って一年が過ぎた。



 

 

 

 

 

→これからの二人を読みます??



 

 

 

 

 

情熱的な夜を過ごした次の日の四つ時過ぎ。
早朝別れたばかりだというのに次宗さんは、早馬を駆けて松田屋の前に乗り込んできた。
本来ならば、この界隈へ乗馬しながらの侵入はご法度となっているのに。
「木蘭っ。木蘭に会わせろ!!」
何故か息咳切っている。
店先の禿に呼ばれてあたしが顔を出すと、
「今から行く所があるっ。だがその前にお前にこれを渡したかった。」
と、店が開くまで昼寝していた寝ぼけ眼のあたしの手の中に何かを投げ寄こした。
「どうしたんですか?さっきお別れしたばっかなのに…。今度来た時でも良かったのに…。」
ぼーっとしているあたしを馬上から見下ろしている次宗さんの顔は、逆光で見えない。
ふと、口元がゆがんでいるのが確認できる程度で。

「愛している。またすぐに会いに来よう。またなっ。」
来た時と同じ速さで次宗さんは駆け去っていった。

あたしはその場に佇みながら、無言でずっと彼の背中が小さくなるのを見守った。
 

手の中の薄紙には、黒と白と灰色の見事な色調の水墨画で。

蘭の花を優雅に持ったあたしが描かれていた。



 

 

 

その翌日。

天羽一馬という浪人が、名門有馬一門を破ったという噂が梅山中、いや、江戸中に流れた。

噂では。

有馬一門を代表して道場で二番手の次宗さんが天羽一馬とかいう男の決闘の申し込みを受けてたったらしい。

そして…。

 

 

「あはははっ。まさかあの次宗さんがねぇ。そんなんデマに決まってるじゃない!」

最初は噂を信じていなかった。

そう。
弟の惟宗さんが、彼の遺留品のお守りをわざわざ松田屋まで届けに来るまでは。

「すまねーな。兄貴の所持品っていったらこれしか無くってよ。でも、兄貴はこのお守りを羽織の袂に縫い付けてあの男に挑んだんだ。だから、大事に持っててくんねーか?」
中には、あたし宛の遺書と、昨夜渡した髪の毛の一部が入っていた。

「嘘…。」
彼の口から直接その悲報を聞いた時、あたしは呆然とその場に座り込んだ。
そっと、惟宗さんは手をあたしの肩に置く。
「結構いい勝負だったんだぜ。あの男も片目をなくしたし。・・・・・・けどよ、認めたくねーけど、あの男は尋常な強さじゃ無かった。」
心なしか、彼の声は震えていた。

「兄貴が俺たちに残した遺言では、たとえ天羽一馬に負けて命を散らせても、悔いは無いから仇討ちなんて有馬一門の名を汚すような真似だけはするな、って書いてあった。兄貴らしーよな??」

あたしは俯いたまま。
彼の残したお守りを握り締めた。

「……分かってくれ。俺達も、つれーんだ…。」
あたしの肩に置かれた手に力が入る。

 

愛している…

 

俺の所に来い…

 

昨夜の彼の言葉がこだまする。

彼は、今日の決闘の事をあたしに黙っていた。
あの、情熱的な行為の間も。

きっと。

有馬家の跡継ぎである長男が亡くなってはならないからと、自ら一門を代表して決闘に挑んだのだろう。

 
今の問題が片付いたなら…

 

愛している…

愛している…

 

何度も何度も昨夜の言葉が頭の中で繰り返される。
本当に悲しいと、涙と言うものは出てこないらしい。

あたしは地面にヘ垂れ込んだまま、天を仰ぎ見た。

 

空は、青かった。



 

 

 

 

 

どんっ、とおりんを追っかけて走っていたあたしは強かに誰かの肩とぶつかった。
ヨロリとよろける。
だけど、瞬時に伸ばされた手が、助けてくれた。

ふう~っ、転ばなかった(滝汗)!!
危ない危ない!!!

「あっ、すいませーんっっ。」
と顔を上げると。
「大丈夫ですか?」
深く被った編み笠の下から、何処かで見た懐かしい顔とぶつかった。

「え・・・?」

まさか。

もう何年も前に死んだ人間の名前を口にするなんて、馬鹿げている。
でも、咄嗟にあたしの口から、彼の名前が零れ出ていた。

「次宗……さん?」

「松田屋の木蘭さん…ですか?」
その人は、白い歯を見せて健康的な笑顔をあたしに向けた。
「良かった、松田屋に行ったらまだ揚屋にいると言っていたのでそちらの方に向かっていた所なんですよ。」
言いながらあたしの横に並んで歩き出す。
「叔父の惟宗殿の使いで参りました、有馬由一郎と申します。」
隣の男の人は元気に話しかける。
あたしより、一,二歳は若そうだ。
「父上は生前母上以外の女性について一言も私に話をしてはくれなかったんですけどね。」

父上…。

そういえば、今まで会った事が無かったけれど、次宗さんはあたし位の息子がいると言っていた。

「父が死ぬ間際にあのお守りを持っていなかったら、私も惟宗叔父も父上が好んで梅山に来ていたなんて知らなかった。」
ハハハ、と白い歯を見せて笑う。

どこか、懐かしい。

あたしは目を細めながら無言で彼の話を聞いていた。

「私も、やっとこういう場所に来れる年齢になれたものですから…。」

こんな遊郭街とは縁遠そうな、さっぱりした好青年。

「さっきも言いましたが…今日は叔父の代理で…。初めて貴方とお会いしますが…噂どおりの綺麗な御方で…。なんか、緊張します。えっと、あの、明日は父の…。」

知っていた。
明日は丁度、三回忌。
毎年毎年彼の命日には弟さんの惟宗さんがあたしに会いに来てくれていたから。

「蘭の花を。」
「え?何ですか?」

あたしは立ち止まってすぐ横の青年を顧みた。
「あたしの代わりに、今年も蘭の花を一輪彼に持っていってあげてください。」
「蘭の花…ですか?」
あたしはそっと頷く。
「あたしには、彼にあげられる物が他に何一つ無いから。」
それじゃ、と断りあたしは再び松田屋に向かって駆け出した。

「えっ。ちょっと待ってくださっ…。」
後ろで息子くんの困った声が聞こえたけれど、あたしは通りを全速力で駆け抜けた。

 

 



 

次宗さん。

木蘭は、まだ貴方の事を忘れる事が出来ません。

お守りの中身を確認する勇気が出るまで。

梅山を出て、貴方のお墓へちゃんとお参りが出来るまで。

あたしは貴方への涙を溜めておくと決意をしました。

だから、その時まで。

あたしを天から見守っていて下さい。



 

 

あたしは青い空を見上げて、そう呟いた。

 
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