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“仁神堂(にがみどう)という男” 




  「仁神堂。肩が凝ったわ。揉んで頂戴。」

移動中の自家用ジェットの革張りの黒いソファで書類に目を通しながら私は秘書の仁神堂浬(にがみどう かいり)に命令した。
ロスからダラスまで約4時間。
いつもながら今、この空間には彼と私しかいない。
「かしこまりました。」
感情の抑制された低い声。
もう聞き飽きたわ。

この男が私の元で働き出して一ヶ月。

就寝時以外は秘書兼付き人として常に行動を共にしてきた。
秘書としてはこれ以上ない、といって良いほど完璧。
でも、 いつも無口無表情で、この男の脳には「感情表現」という言葉が組み込まれているのか?と、会社では氷の女王と呼ばれている私ですら、眉を顰めるほど人間的に感情が欠如したような、不可解な男であった。
 
向かい側に座っていた彼は、腰を上げて私の隣に移動する。
8’2……185はあるのだろうか?均整の取れた体に折り目正しくプレスされたスーツを感じよく着こなしている。
ネクタイの趣味も、悪くない。
「社長、こちらに背を向けてください。」

書類から目を離し、左横に座った仁神堂に背を向ける。
両肩に大きな手が置かれ、優しく揉みだした。
最初は張っていた肩に痛みを感じたが、程なく心地よさに変わる。
「案外、上手いのね。前にもやった事があるみたい。」
「敬一郎様がお好きでしたので。」
優しい手つきとは正反対の冷たい声音で返事が来た。

彼は以前、私の祖父の専属秘書をしていた。
「こんな事までやっていたの?まるで雑用ね。」
「……仕事ですので。」

私はマッサージされながら、何気なくリモコンを手に取った。
巨大なモニターが降りてくる。
ソファの正面の壁のスクリーンには暖炉が映し出され、焚き火のように燃え盛る炎が本物の如く揺らめいていた。
知らない間に季節は廻り、冬が近づく。
寝る時とエクササイズの時間以外は四六時中ビジネススーツを着ているので、自宅のクロゼットの中は明らかにスーツの数が私服の数を上回っていた。

「新しいセーターとマフラーが欲しいわ……。」
独り言のように小さな声で呟いた。

どれ位経ったのか、いつの間にか肩にあった重圧はなくなっていた。思った以上にこの男はマッサージが上手い。
止めて欲しくなかった。

「背中も叩いて頂戴。」
「かしこまりました。」
背後でソファが波うち軋む音がした。
仁神堂は体勢を変えたらしい。
彼の温かい息遣いを背中に感じる。
その上、上品なコロンの香りまで私の鼻をくすぐった。

私の中で、悪魔がむくむくと頭を擡げる。
この男を、試してみたい。
この男が何処までやってくれるのかを。

「次は、足をよろしいかしら?」

背中がすっきりすると、靴を脱ぎながら指示した。
仁神堂は何も言わず、ただ私が大きなソファーにうつ伏せになるのを見守った。
幸い、今日はパンツスーツだ。

「痛い所があればおっしゃって下さい。」
言いながら、強弱をつけてズボンの上から両足を軽く叩き出した。
ふくらはぎをマッサージされながらも、私の神経はそこになかった。
どうやったら、この男からいつもと違った反応を得られるのだろうか?その事ばかりが頭の中を占めていた。

考え込んでいると、暫くして仁神堂は手を止めた。
「社長、終わりました。」
「ああ、有り難う。」
私は満面の笑みを浮かべて礼を言った。
彼は眼鏡を抑えながら、
「失礼致しました。」
と低く呟く。
私はソファーに座りなおし、微笑を浮かべたまま仁神堂を直視した。
 
「仁神堂、眼鏡を取ってくれないかしら?」
「眼鏡を、ですか?」
聞き返す声に驚きの色は全くない。
「これがないと私は殆ど何も見えないのですが。」
仁神堂は多少渋っているように見えた。
私は心の中でしめた、と思った。

「ずっととは言ってないわ。少しの間でいいのよ。」
「かしこまりました。」
そう承諾すると仁神堂は、すっと眼鏡を外してテーブルの上に置いた。眼鏡のせいか、元からなのか、目のほりが深い。
一見、純日本人には見えない整った綺麗な顔立ちをしていた。
薄茶色の硝子のビー玉で出来たような冷たい瞳は、濃くて長い睫毛に縁取られている。

意外と、魅力的じゃない。
一ヶ月もの間気が付かなかったなんて。

私は、もっとこの男を追い込んでやりたい、と思った。
「もし、ここで私がマッサージ以上のことを要求したらそれはセクハラになるのかしら?」
仁神堂の顎の下を軽く手で触れる。

「私が拒否するのを社長が無理やりなされたのなら、それはセクハラになると思われます。」
仁神堂に、動揺という言葉はないらしい。
私の不躾な質問にすら、落ち着いた声で答える。なんて男かしら?
「あなたは嫌かしら?」
私は、真顔に戻って熱い眼差しで彼を見つめる。
そう。これは全てこの男の本性を暴く為の、演技。
「それは、事によりますが。」
「そう。事によるのね。」

私は、ひっつめていた髪の毛のゴムを解いた。
茶色くて長い髪がはらり、と肩にかかる。
髪の毛をかき上げた後、優しく聞いた。
「なら、これはどうかしら?」

ゆっくりと、仁神堂に顔を近づける。
薄くグロスを引いた唇を軽く、彼の右頬に触れさせた。
反応は、ない。
彼の顎に再び手を置きながら、少しずつ唇をずら していく。
口の端ぎりぎりまで来て、顔を離す。
私は彼を焦らそうとした。
だが、彼を見ると先ほどと変わらず、無表情で私を見つめていた。
やがて、口を開 く。

「社長は、これがお望みだったのですか?」
私はその言葉に顔が赤らんだ。
決まりが悪くなる。
が、平静を装って仕事用の営業スマイルを浮かべた。
「ええ、そうよ。」
容赦ない質問は続く。
「気がお済みでしょうか?」
「えっ?」

気がお済みでしょうか、ですって?
済む筈がないじゃないの。
私はまだ、何も見ていない。
このロボットのような男の心の中を探るまでは…。

「いいえ。済んでないわ。」
そう素直に答えてしまう。
「そうですか。それでは…。」


それは一瞬の出来事だった。


気が付いたら体は引き寄せられていて、私は長くて熱い口付けに応えていた。
丁寧に、味わうように、舌を絡ませる。

恋人とも、 こんな熱いキスをしたことがなかったかもしれない。
もしかして、焦らされていたのは、私の方?

体が意思に反して火照りだす。


が、突然、仁神堂は顔を離した。
眼鏡をテーブルから拾って再度かける。
何事もなかったかのようにいつものポーカーフェイスで服装の乱れを正し、腕時計を見た。
「後、40分弱でダラスに到着です。社長はご支度に取り掛かられた方がよろしいでしょう。」

私は、その一言で我に返った。

私も、氷の仮面をつけて、心の中の動揺を隠す。
声が上擦らないように気をつけながら、
「テーブルの書類をまとめておいて。」
とだけ伝えて、化粧室へ向かった。



 狭くて小さい機内のシンクでソープを泡立てながら、崩れかけていた化粧を熱いお湯で洗い落とした。
タオルで拭った後、携帯用の化粧水をつける。
手馴れた作業をしながら、ずっと考えていた。

この私が、動揺している。
冷静さでは、誰にも負けないと思っていたのに。
「社長」という肩書きが有る以上、同情や不必要な感情を捨て割り切ろうと努力していたのに。

やはりあの男は、只者ではない。

でも、いつかは。
いつかは、仁神堂浬の面の皮を剥がしてみせる。


一通りの事を終えて化粧室を出た私は、横目で向かい側のラブシートで何事もなくノートパソコンの画面に見入っている仁神堂を見つめながら、傍らのエアフォンに手を伸ばす。

慣れた手つきで番号をダイアルした。
……ロスにいる恋人の声を聞く為に。




後で気付いた事なのだが。

テーブルの上の書類は全て綺麗に片付けられていて、代わりにそこにはJC〇ニーからデ〇オールの専属顧客用冊子まで、冬のファッションカタログが何冊も積まれて置かれていた。




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