あたしと宇田川は、近所の公園まで無言で歩いた。
大人(且つちょっとデブ?)なあたしには微妙に小さく感じる子供用ブランコに腰かけると、前の鉄柵に宇田川も座った。
「びびった。あんたの母親、すげえな」
「ああ、ゴメンね。ケバイし、根掘り葉掘り聞いてきてうざかったでしょ」
あたしは俯きながら、ちょっと苦笑混じりで答える。
不審者じゃなく、あたしの知人だと知ったお母さんは、あたしを押し切って玄関にまでしゃしゃり出てきて、うざ~~~~い位超笑顔で、宇田川に質問攻めにした。
「ケバ…じゃねえ、あー、えー、つまり…なんだ。すげぇ若けぇな~、と」
あたしとおんなじ風に思ってるのか、ちらっと上目使うと、宇田川も下向いていた。
あの傍若無人な宇田川が、珍しく言葉選んでるのが、笑える。
「全っっ然あたしお母さんに似てないのは、知ってるから。遠まわしに言うとか、気ぃ遣わなくてオッケーだから。あたし父親似だし自分でも、ほんとあの人の子供?とかいっつも思うし」
「気とか別につかってねーけど、なんかこっちの世界の匂いプンプンしてたわ」
「こっち?」
「ギョーカイ系っつーこと」
「ああ…お母さん、元ミス日本代表だったし、なんか若い頃は雑誌のモデルとか色々してたみたいね」
目深にかぶった帽子とだて眼鏡のせいで、顔を上げても宇田川の口元しか見えない。
「あー、そんな感じするわ。しかもあんたんち、場所もそーだけど、家のでかさとかから見ても、結構金持ちなんじゃねぇの?なんか、想像してなかったっつーか」
「お金あるのはあたしの親で、あたしじゃないよ。大学居た時は、お小遣いとかなかったからバイトしてたし。旅行の時は、あたしと健人だけエコノミークラスだし、結構そこら辺はシビアだよ」
「ふうん。だからか。あんたが苦労人っぽく見えんの。俺なんて母子家庭で、デビューして売れるまでずっとボンビー生活してっから、貧乏性なやつはすぐ分かる。つか、俺が言いたかったのはそんな事じゃなくって、えーと、その…だな」
貧乏性…。
確かに「お嬢様」扱いされた事なんて人生で一っっっ回も無いけどさ。
それにしても、宇田川にしては声のトーンもオーラもどんよ~~りしてて、低い。
疲れてるようにも見える。
俯いてる宇田川を観察してると、小さな声で呟く。
「悪かった。俺のせいで…色々…あんたに迷惑かけちまった」
お初にお目にかかる、下から目線&自信なさ気な宇田川。
「あたしの方も…連絡とかしてなくて、ゴメン。宇田川こそ監禁状態だったんだってね。なんか、ギラギラ眩しいお兄さんが見舞いに来たよ」
「ギラギラ?ああ、黒鳥ね」
「あの、話変わる変わるけど…最近、周りで変な事とか、まさかまさかまさか起きてない、よね?」
そうだ、聞かなきゃ。
健人が暴走してるか、確かめなきゃ。
「変な事?例えば?」
「例えば、えーと、あんたのブログとかサイトが炎上しちゃったり…だとか、クレジットカードアフリカあたりで使われてちゃったり、だとか…あとは……」
殺人予告あったりとか…とは聞けなかった。
「俺のケータイ番号ファンにバレちまったりだとか?ああ、あったあった」
「あったの?!」
やっぱり、健人の仕業だ。
あたしは驚いて、ブランコから飛び上がる。
宇田川も顔を上げた。
あたしを仰ぎ見たからか、宇田川と視線が絡む。
う。
慌てて逸らして、横を向いた。
なんでだろ?
宇田川の顔が直視できない。
「確かにあんたが入院してる間に、俺のグループのホームページ潰れちまったし、クレジットカードはアジアツアー中に五百万くらいマカオら辺で勝手に使われてたけど。んなん、しょっちゅーある事だぜ?」
全然動じてる風でもなく、落ち着いた声音で宇田川が答える。
「しょっちゅう?」
「あのオトコオンナとの仲スクープされた後だっつーのもあるし、まあそーじゃなくても俺らみてーなのは、有名税っつって、そーゆーリスク承知で国民に顔売ってんだから、いちいち問題にしてらんねぇよ。あんたの心配する事じゃねーし」
俯きながら喋ってた宇田川が突然腰を上げた。
あたしの真正面に立つ。
「あんたに聞きたいことがあって、わざわざこの俺様が調べてあんたの家に会いに来てやったんすけど?」
腕を組んで態度LL(エルエル)な俺様口調&上から目線に戻った宇田川は、恩を着せるが如くあたしに告げる。
「調べたの?!」
そういえば、宇田川に家は教えてないし、知らないはずだ。
「そ。あんたの入院してた病院の看護婦に黒鳥が超極秘でかけあってくれた。サイン5枚と交換したっつってたけど」
「サイン…て…えー、それは巷では立派なストーカー行為っつーんじゃないんでしょうかねぇ?」
「ばぁか。俺はファンにストーカーされても女にはしねーよ」
いや……。
現に調べてうちに押しかけたじゃないっすか!
と、のどまで出かかった言葉を飲み込んで、あたしは宇田川の反応を待った。
だってだって、眼鏡の奥の宇田川の目がマジだったから。
「あのオトコオンナが法的に訴えるっつって事務所通して俺に連絡入れてきた。あいつ、俺以上にブチ切れてたらしいな」
「翠さん…お見舞いに来てくれてたらしいから、お礼しないと…」
あたしが思い出して独り言呟いていると、構わず宇田川が続ける。
「それに、あの時は油断してた俺のせいでもあるし」
「あんたの?宇田川は犠牲者だよっ」
あたしの言葉に反応するように宇田川が突然手を伸ばして、手首を掴んだ。
「確かに、あんたが勝手にあんな目立つやつら連れてきたせーもある。けど、ちゃんとパパラッチとか周り見てなかったり、場所選びしなかった俺のせーでもある。まあ、だから勝手についてきたあのオトコオンナも責任感じてんだろーけど」
じりじりとあたしの手首を持った宇田川が、距離を縮める。
「マジ、女一人守れない自分がムカつくし、後悔してる……」
その顔があまりにも真剣すぎて迫力あって、あたしは半歩後ずさる。
「あ、あたしは全然大丈夫だって。体力と運だけは強いみたいだし…。あ、ギャンブル運とくじ運だけはずぇんっずぇん無いみたいで、年末ジャンボなんてこの10年間買い続けて一回も当たらないのに、友達なんてこの間初めて買ったら3万円当たったって言ってたよ。イタリアなんて宝くじに全財産投じちゃった人がいて社会問題になってるんだってさ。ははっ…」
微妙に漂う緊張感に耐えられず、どーでもいい事ぺらぺらノンストップで喋っちゃってるあたしに構わず。
宇田川は間合いを詰める。
「だ~か~ら~、俺と付き合うっつーのは、ファンに嫌がらせされてブラジル移住だとか、パパラッチに付け狙われるとか、そういうリスクがついてくるんだよっっっ」
困ったような、複雑な表情を浮かべて、宇田川が声を荒げる。
「ちょっ…宇田川!」
振り払おうとすると、いっそう強く掴まれる。
「俺、事務所に監禁されてた時、ずっと考えてた。やっぱ、あんたの事危険に晒したくねぇ。晒したくねーけど、あんたの事が好きだっ。ぜってーぜってー守るからっっ」
そう宇田川が言い終わったか終わらないかの、その時。
突然。
突然、黒い影があたしの視界を横切った。
「えっ?」
あたしと宇田川の間に割って入ったその影は、宇田川が抑えているあたしの腕に手を置く。
「健……人……」
健人は無表情ながらも、その長い睫毛にふちどられた目をすこーしだけ細めて、声を出さずに口を動かす。
は な せ。
そう、宇田川に告げていた。
「んだ、お前?」
あ い り か ら て を は な せ。
「ったく、何なんだよ」
口の動きを読み取って、宇田川が舌打ちしながらあたしの腕を放す。
あたしを宇田川から奪うように引き離すと。
いきなり、あたしの視界が健人の影で遮られた。
思わず、目を瞑る。
と。
鼻をくすぐる、慣れた匂い。
唇に落ちる、花びらのような、柔らかさ。
優しい、湿り気。
「え?」
って驚いて顔を上げると、見慣れたずる賢い、だけど吸い込まれそうに妖しい笑みとぶつかった。
視界の端に、口をポカンと空けてる宇田川が映る。
が、すぐに
「なっ……何してんだぁ!!!!!!!!」
って声が聞こえた。
宇田川が健人の胸倉を掴み、殴りかかった。
…ように見えた。
きききききききっす、された。
健人に。
ひひひひひ人前、で。
宇田川の、前で。
目の前で繰り広げられてる修羅場(!)もされど、突然の不意打ちに、あたしは金縛りにあったみたいにその場から動けなかった。
今しがた健人に押しあてられた唇に指を置く。
2度目の、キス。
よりにもよって、宇田川がいる前で。
見せ付けるように……。
目の前で繰り広げられてる『ク●ーズZERO』みたいな、テッペンとってやる的なヲトコ同士のバイオレンスをぼんやりと眺めながら、あたしはその場に立ち尽くした。
24年間生きてきて、あたしは一度も健人が素手で喧嘩してるのをお目にかかったことが無かった。
耳が聞こえないばかりに、学校で苛められても。
姉弟喧嘩で、あたしが叩いても。
Sの女王たるお母さんが、『愛のムチ』(←Mのお父さん命名)で叱っても。
反撃する事もなく、キレイな形の唇を噛んで、じっと耐えてた。
均整は取れてても細身な身体してるし、スポーツしか取り柄のないあたしと違って、運動や格闘とかからは程遠い世界に居るとばかり思ってた。
電気機器以外、重そうなもの持ってるトコ見た事ないし。
あったとしても忘れてるって事は、印象ない……?
ない…けど………。
ここであたしはハッとなる。
やべっ。
ここで一人乙女浪漫に浸ってる場合じゃない。
殴り合ってる二人の間に入る。
「あたしは、芹●タマオ軍団派なんだから!喧嘩はやめなさい!!!ゲ●ジうぉりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
気合を入れ、少年漫画風にうぉりゃり(?)の叫び声を上げながら、あたしは宇田川に馬乗りの健人の後ろに抱きつく。
何度も振り払われそうになったけど、あたしの喚き声(奇声?)に気づいた宇田川が、抵抗を止めた。
それに続いて、我に返った健人が振り上げた拳を止める。
その隙に、あたしは男二人の間に割って入った。
“すぐ、終わるから!”
我に返った健人は、鬼夜叉のような怒りボルテージMAXな表情を隠さずあたしをそのまま家に連れて行こうと腕を掴んだ。
健人の腕から逃れると、あたしはすばやく手話で告げて踵を返し、宇田川に駆け寄る。
「すげー姉弟愛」
口元から流れてる血を袖で拭くと、宇田川は土ぼこりを叩きながら立ち上がり、デッドヒート中(殴りあい中)飛ばされた眼鏡を拾う。
心臓が、バクバクなってる。
痛い。
「ごめん…宇田…」
「キモチわりーーんだよっっ!!あんたら、何なの???」
宇田川は、近寄ろうとするあたしを手で制して、そう叫ぶ。
キモチワリー。
その一言が、あたしの全身を貫く。
「フツーじゃねぇよな?俺、前に聞いたろ?あんたら姉弟でできてんのか、って???あんたの、この人形みてーな弟は、一目瞭然だよな?」
フツーじゃねえ。
普通じゃない。
普通じゃない。
そんなの、わかってるよ。
頭の中で通じ合っちゃったり、口に出して言えない、人には言えないエッチな事ばっかしてる。
それに、あたしは……。
すぐ背後に、健人の気配を感じた。
興奮でなのか、怒りなのか、驚きなのか。
自分が小刻みに震えてるって健人の手が肩に置かれて、気づいた。
唸るような掠れた声が途切れ途切れに出る。
「……じゃないのは、わかってる。フツーじゃないのは…わかってるよ」
ペッて血を口から吐き出すと、宇田川が挑発的に嗤う。
だけどあたしと視線を合わせない。
「へえ、開き直り?だから姉弟で、人前でキスとかすんのか?それ、欧米風の挨拶か何かか?あんたんちの家風?」
あたしは口から出かかった反論の言葉を飲み込んで、唇を噛む。
一呼吸置いて、今度はちゃんと声を絞り出す。
「フツーじゃないけど、しょーがない。あたしも、健人の事、好きだから。弟だけど、それ以上に好きだから。フツーじゃないけど、傍から見たらキモチ悪いのわかってるけど、やっと自分のキモチに気づいた。だから宇田川とは、付き合えない!」
そう言い放つと、横向きの宇田川が自嘲気味にフッて微笑んだ。
「アホらし。やってらんねーーーーーーーー」
言いながら、まだ地面に転がっていた帽子を拾う。
「あんたの後ろの人、聞こえてねーんだろうな。あんた越しに俺の事射殺しそうな目でまだ見てやがる」
ちらり、と一瞬眼鏡越しにあたしを見ると、宇田川は何かを振り払うように頭を振る。
「つか、これ以上喋ると、マジヤベェわ。言いたくねぇ事言っちまう……」
自戒するみたいに小さく呟きながら、パンパンって宇田川は拾った帽子を叩く。
が、動揺してるのか、叩いた帽子を落とした。
舌打ちしながらそれを再度拾いあげ、目深にかぶる。
自分がどんな表情してるのか、わからない。
目頭が、熱くなってきてる。
でも、あたしはまっすぐ宇田川を見つめ続けた
あたしに背を向けると。
「この俺様フルなんて、五百万年はえーんだよ、朝倉愛理!!!」
宇田川はいつかの如く中指を立てながら、最後にそう言い放つ。
ジャ●アンのような宇田川らしい俺様なセリフが。
威勢のいい、心地よい声音が。
暫くあたしの耳から離れなかった。
人生で初めて、人を振った。
モテナイ暦24年で初めて告白されたのに、振ってしまった。
俺様だったけど、ミニ如意棒だったけど、おせっかい野郎。
あたしの初体験の相手。
きっともっと酷い事言う事できたのかもしれない。
あたしを傷つける事出来たのかもしれない。
なのに………。
どわ~~~~~~~~~って大量の涙と鼻水がリアルに流れてきた。
放心して突っ立ってると。
あたしの背後から、あったかい腕が絡みついた。
胸の前に回された細くて長い指が、器用に動く。
“家に帰ろう、愛理”
涙で視界がぼやけてても、健人の手話が目に入った。
。
山本 壱悟:24歳
グループ一番の色男だが、物静か。天然且つマイペース。憂い顔で窓の外を見ている時は、今ハマッてるゲームの攻略法しか考えていない。結構ミステリアスな謎男。嘘か真か元カノは関係を暴露されて親が職場クビになった挙句一家離散、果てはブラジルへ強制移住させられた…らしい(?)罪深きヲトコ。By宇田川光洋
今日に限って、時々突然、ニヤリと微笑む男が、一人居た。
極度の色男だし、滅多に見せない笑顔だからか、それとも年末ライブって事で事務所の他のグループと横〇アリーナで歌って踊ってテンション上がってるだけなのか、兎に角その男は始終微笑んでいた。
「壱悟気持ちわりー」
舞台裏でメーク直してもらいながら、隣の金屏風みたいなシャチホコみたいな、いやいや、孔雀みたいな男が小声で呟く。
「なんであいつ顔緩みっぱなしなワケ?知ってる、ウダ?」
ミネラルウォーターを手に汗拭いている背の高い男を顎で指しながら、首を傾げる。
「なんか姉貴ヨーロッパから帰ってるらしいぜ。年末年始。だろ?壱悟!」
名前を呼ばれて水を飲んでいた男が振り返る。
「ああ…そうだけど?」
そう言い切る前に、すでに真顔に戻ってる。
悔しい事に、ファンの数はメンバーいち。モテ数、過去の女の数、ドラマ主演数、CM数どれをとってもメンバーいち…いや、事務所いちの稼ぎ頭。
見た目も艶やかな美少年期を越えて、すっかり天然ナチュラルな色男(注*天然ナチュラルビューティーな壱悟←対極→加工品のナルシスト黒鳥ヒカル)に変身していた(事務所社長談)この口数少ない男が、重度のシスコンなのは仲間内でも有名な話だった。
「じゃあ何?今年はコレ(ライブ)おわったら5日までワイハとかロスとか、ドバイとか行かねーの?あれ?今付き合ってる女いなかったっけ?」
リーダーではないにせよ、メンバーを取り締まってる案外世話好きの宇田川光洋ことウダが、衣装変えながら話しかけた。
「いない」
「あの、デルモは?」
「どれの事?」
「うわぁぁぁ~~~どれだってさ、すげーし。何人に手ぇつけたわけ?」
整った顔の男は、眉根を寄せて考え込む。
「手つけたっていうか、追いかけられてたんだよね?んで、これ終わったらどこに行くの?」
鏡で髪型をチェックしていた背の低い、かわいい系の男がフォローするように付け足し、再度尋ねる。
が、答えは既に皆知っていた。
ペットボトルをリサイクルのゴミ箱に投げつける。
「今年はこのまま川崎の実家かな」
と憂い顔を見せながら独り言のように呟くと、山本壱悟は再度溢れんばかりの笑顔をになった。
玄関には、見た事の無いロングブーツが脱ぎ捨ててあった。
それを見ると、ひとりでに頬が緩む。
あの人が帰ってきている、確固たる証拠である。
「ただいま」
ちいさな声で呟いたが、静かな玄関に響き渡る。
「あら。壱悟よ、お父さん!梢ちゃん!」
年末で家中を掃除していたのか、エプロン姿の母親がハタキを持って2階から降りてきた。
母に促されるまま靴を脱いで居間を通りダイニングルームに入ると、昼間っから酒を酌み交わしている2人が目に入った。
義理の父と、嫁に嫁いで出ていた、姉。
自分が8歳の時、母親が再婚した相手と、その連れ子。
「あら、イチゴじゃない。またおっさん臭くなってるわ」
あはは、と笑いながらも俺を隈なく観察している6つ年上のショートボブの女性に、俺も視線が重力の様に引き付けられる。
「……梢ちゃんは、変わってない」
姉が冗談を言っているのは百も承知だったが、自分の口からはつい本音が毀れ出た。
最後に会ったのは、姉が結婚する3年前。
今年で30歳になるはずなのに、見た目は全然昔と変わっていなかった。
まるで時が止まったかのように。
再婚した時から育ててくれた継父とお約束のような挨拶を交わし、自室に戻って着替える。
この部屋も、1年ぶりだった。
グループを結成して売れ始め、一人暮らしを始めてからは、実家に帰る時間も暇も滅多に無かった。
年始も正月明けの5日の月曜から仕事が始まる。
「さて…どうしよ?」
今年もまともな休暇が取れないまま、突っ走ってきた。
突然何もやる事が無いと、どうすればいいのか解らない。
さて、何をしようかと考えを巡らせながら、不必要な位写真や物や玩具に溢れている部屋に暫く立ち尽くしていた。
12歳の時、町でスカウトされてから母親が集め続けている、俺の記事や写真。
ふと、幾重もの写真立ての奥に隠されてた一枚に目が行った。
意図的に、隠していた、一枚。
そこには、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけた、小学生の俺が写っていた。
事の全ては、思春期の真っ盛りにいた11歳の俺の、小さな暴走から始まった。
それは、たった一つの、キス。
両親が外出していたある日の夜。
俺は、受験勉強しながらこたつで眠りこけていた17歳の姉の唇に、自分のそれを合わせてみた。
周りや学校の友達、又はテレビか本で読んだ知った「キス」が一体どういうものか試したかった。
ただそれだけの理由。
なのに姉は、眠り姫のように目を覚ました。
目をパチクリさせて、唇を押さえながら、高校のブレザー姿の姉は、目の前の俺を見る。
かすれた、乾いた声で小さく呟いた。
「……イチゴ?……」
「ご…ごめっ…」
まさか眼を覚ますとは思っていなかった俺は、慌てて身を離す。
眼鏡をかけて、背を向けた。
心臓が、体を突き破るのではないかと思ったくらい、激しくなっていた。
「イチゴ、どしたの?今、もしかして…?」
バレた。
呆気に取られている姉の肩を掴む。
勢いで、押し倒していた。
眼鏡が飛ぶ。
「梢ちゃんっ」
「え?だ、だからどうしたの?!珍しいよね、イチゴが焦ってって……んっ」
姉は明らかに、パニックに陥っていた。
そんな姉の唇を、再度奪う。
目を瞑ると、雑誌や本で見た「キス」以上の行為が頭をよぎった。
頭の中で「やめろ」という警報が鳴っているのに、好奇心がそれを強制的に打ち消していた。
体の一部が、熱く感じる。
「梢ちゃん、俺っ……はぁっ」
粘着質な音が、居間に響き渡る。
甘い。
懸命に舌を絡ませて、息継ぎする。
「イチゴ上手…」
「梢ちゃんも……」
角度を変えたり、舌を歯の後ろで擽ってみたり、無我夢中で味わっていた。
「もっと、私のキスの練習台になりたい?」
「ん…いいよ…」
何度もキスを繰り返し、気づくと息継ぎの合間に小さく囁いた。
「あいつ、だれ?」
なるべく不自然にならないように、俺は教科書に目を落としながらたずねた。
今日、梢ちゃんが、同じ学校の制服の男と帰宅した。
ただそれだけなのに、気になってしょうがなかった。
「同じクラスの、高橋君だけど?」
「ふうん…」
聞きたいことは山ほどあるのに、声が出ない。
「気になる?」
「……別に」
素直になれないまま、国語の教科書の文字を追う。
「子供にはわかんない事、色々あるのよ」
そう大人ぶって答えて席を立とうとした姉の腕を、気づいたら掴んでいた。
そのまま押し倒す。
「俺、子供じゃない。証明しようか?」
眼鏡越しに、姉を睨む。
「何言ってるか、分かってるの?」
乗りかかっている俺の体を力ずくで押しのけると、梢ちゃんは真剣な顔で俺を見た。
怒っているでも、拒絶しているでもない。
ただ、困惑と、少しばかりの好奇心が、彼女の濃茶色の瞳に宿っていた。
俺は体を離して、眼鏡を外すフリして一呼吸おく。
「性教育は、もう習った」
予想外な事に、姉の顔が一気に火照った。
「イチゴは弟でしょ?私、弟とは…」
「弟かもしれないけど、血は繋がってないよ」
言いながら着ていたTシャツとジーパンを脱ぐ。
「それに、何度も梢ちゃんとキスした」
「そ…れは…ち、ちょっっ、待ってよ!!!あんたまだ中1じゃないっ」
トランクス姿になると、一気に最後の砦まで取り除いた。
俺は素っ裸のまま、姉の前に立った。
「………梢ちゃん、でも俺、男だよ?」
こう改めて観察されると、照れるものがある。
コレが。
自分の分身が、火照りを覚えて硬くなったのが分かった。
「イチゴ、きっと後悔するよ?」
聞きながら、姉がオズオズと俺に触れる。
軽く握られると、ピン、と跳ね上がった。
「あっ!!っ」
俺は体を捩ろうとした。
が、姉の方が早かった。
「まだ皮被ってる……」
十分成長し切れていないそれをしっかりと手に持つと、姉は成れた手つきで強弱をつけてもみ始めた。
「……ぁ、や、やめっ……」
自分以外の人間が触れた事のない場所に触れられて。
体積を増して天を向いていくそれを弄られながら、俺はなすがままになっていた。
そして、俺の体をそのまま床に押し倒す。
「もう精通あったんだ。だって、こんなになってるしね」
「そっ……んな事……ないっ……んあっ」
手馴れた感じで姉は扱き続ける。
「すっごい、濡れ濡れだよ。こんなに、腫れてる」
俺の足元で跪いてる姉が、挑発するように上目遣いで俺を見た。
「ヘンな事……しゃべんなっ……っ」
「イチゴはかわいくてキレイだけど、ここも、キレイ…」
愛おしそうにそうに、なのに妖艶に、微笑む。
姉の今まで見たことのないその表情に、胸が高鳴った。
体温が更に上昇する。
「楽にさせてあげる」
そう言うが早いが、姉は仰向けの俺の体を押し上げた。
「なっ…」
恥ずかしさで、腕で顔を隠す。
「これ、試してみたかった。イチゴ、可愛い」
言いながら、誰にも見せた事の無い、奥の恥ずかしい窄みに舌を這わせる。
「やっ、そんなトコ…梢ちゃんっっんん!」
裏門を通って、柔らかな部分を左右舌で転がしていく。
そして、付け根の方まで散策が済むと、姉は俺のそれをぱくり、と口に含んだ。
「うわっ……あっ…あっ…」
根元から刺激を与えられ、上部を生暖かい舌で嘗め回され、ビリビリと体が痺れる。
「気持ち、いい?」
やさしく聞いてくる姉の声を聞きながら、唇をかみ締める。
こんな快感が、あったんだ。
姉は手で上下しながら、上の部分を口で包み込み飴玉のようにその割れた部分や凸になっている部分を嘗め回す。
ふわふわと浮いているような、なのにゾクゾクと送り込まれる気持ちよさ。
開放されたいのに、囚われ続けていたいと願う、心の矛盾。
「梢ちゃん、も、だめだっ……ああっっ」
そういうが早いが、俺は姉の口の中で己を放った。
「梢ちゃん、こんな事どこで習ったの!」
羞恥と怒りとが入り混じって、俺は珍しく荒ぶった非難を姉にぶつけた。
「どこ?雑誌とか…ホモ小説…とか?」
「あ……あんな格好っ」
「ホモ小説ではよくあるよ、ああいうシチュエーション」
姉の部屋の本棚を埋め尽くしている小説や漫画の類を思い出し、俺は失笑した。
「イチゴのイッた時の表情、すごくキレイだった」
姉が言いながら、キスしてくる。
「じゃあ、今度は俺が梢ちゃんのイッた時の表情、見たい」
俺も応えながら、姉の着ている服を剥ぎ取る。
小ぶりで形の良い、桃のような胸が現れると、思わず俺は息を飲んだ。
ツンと尖ったピンクの先端に、思わず唇を寄せる。
「んあっ……やっ」
「こうされると、気持ち良い?」
吸ったり舌で転がしたり、反応を見ながら楽しむ。
姉が泣きそうな顔で耐えている姿に、堪らなくそそられた。
一度爆発した下半身が、火照りだす。
彼女の下着に手を差し入れると、ヌルヌルに潤っていた。
「梢ちゃん、感じてた?」
「イチゴ、ソコもっと触って…」
言われた通り指を差し入れると、すんなりと蜜壷に指が一本収まった。
「うっ…動かしてっ…んんっ」
「梢ちゃんの中、あたたかいね…」
下着を脱がせて脚を押し広げると、今まで思い描いていた薔薇色に熟れた花弁と果実が現れた。
姉の指示を待ちきれずに、唇を寄せる。
甘酸っぱい、香りが鼻腔を満たす。
「ふわぁぁぁっっ…イチゴっ、もっと上っ」
花弁の上の小さく突起した芽を見つけると、指を蜜壷に差し入れながら舌でその部分を転がす。
「いやっあっあっあっ……ちょ、ままって!」
突然、姉が俺の髪の毛を掴んで俺の顔を引き剥がした。
彼女の、泣きそうに潤んだ瞳とぶつかる。
素肌はしっとりと潤い、桜色に染まっていた。
喘ぎを出すまいと噛んでいた唇は、血のように紅くなっていた。
その表情をみて、膨張していたものが再度破裂しそうになる。
「駄目」
きゅっと彼女の指が輪を作って俺の火照りの上部を握っていた。
「イチゴと一緒が、いい」
身体を起こして俺に唇を重ねながら、姉は俺を押し倒した。
「ああっ……」
どちらが声を出したのかも、分からなかった。
俺は上に乗った彼女の潤いに、満たされていた。
姉と関係を持った翌日。
俺は母親の買い物に連れられて行った新宿で、スカウトされた。
「こんな色っぽい少年、見た事ないですよ」
がスカウトマンの一言だったらしい。
俺と姉との関係は、彼女が大学へ入学して家を出るまで続いた。
社会人になると俺を避けるように出張を繰り返し、実家から遠ざかり、そして数年前俺の知らない男と結婚してしまった。
何年かぶりに、家族4人で食卓を囲んだ。
夕飯は、専業主婦の母親が手によりを振るったビーフシチュー。
明日から数日間和食が続くからとの、配慮だった。
「壱悟君は、年末年始仕事は無しかね?」
義父が添え物のサラダに箸を伸ばしながら、俺に尋ねる。
「あ、年始5日まで休みもらいました」
1年以上ぶりの、連休。
メンバーの中で実家に帰ってるのは俺だけだと思うと、思わず忍び笑いが洩れる。
皆、ロスやらハワイやら南イタリアやら、元気に遊びに出ている。
「昨日大きなコンサートが終わったんで、それが今年の仕事納めでした」
「もう壱悟君も、24歳だもんなあ」
しみじみと、義父は呟く。
隣の母親も、そうねと頷いた。
この二人が再婚してから、16年。
物心ついた時から父親の記憶が無かった俺の、唯一の父親像。
この目の前の無口で寡黙な人は、よく他人の俺を育ててくれたと思う。
タレントなんて不安定な職業を選んだ俺を、母親と二人よくサポートしてくれた、と思う。
姉は晩餐の間、始終無言だった。
食後階下におりると、台所で姉がピーナツを刷っていた。
俺は麦茶を冷蔵庫から取り出すと、前の席に着いた。
通常なら、義父の場所。
「それ、ナマス用に摺ってるの?」
「そ。お手伝いしてるの」
「ああ、お節か」
「そそ」
暫く沈黙が続いた後、俺は口を開いた。
「二人きりになるの、久しぶりだね。父さんと母さんは?」
「父さんはゴルフの練習。芳江さんは、自治会の班長会議で遅くなるって」
視線は下の摺り鉢に当てたままだ。
「イチゴ、あっちで見てたわよ。あんたの大河ドラマ。日本語放送で、週1でやってた。結構月代とかヅラとか、似合ってるじゃないの。この主人公のサムライ、わたしの弟ですよって言えなかったのが辛かったよ。筋肉もついちゃってさ。あの可愛いイチゴちゃんどこいったんだろ?」
オーバーにはあっと溜息をつきながら、姉は摺り棒を動かす手を早める。
「あのイチゴちゃんは、もういないよ」
あえて俺の名前の“ゴ”では無く“イ”を強調して発音した。
イチゴ、じゃない。
いちご。
壱悟。
「コンサートとか、ドラマとか、凄いんだってね。仕事場の同僚のみならずあっちの友達まであんたのグループの名前と歌知ってた。特に、アジア系?」
籠の中の蜜柑を手にとって、皮をむく。
「ふうん。まあ、ドラマとか放映してるし、何回かコンサートアジア圏で開いたからじゃない」
「同僚の一人なんていい年して、あんたの写真パソコンの壁紙にしてんだよ?大ファンらしくて、今年もコンサートのチケット落選でしたとか言って、落ち込んでるの。それで当選する度に、日本帰国してるのよ。信じられる?わざわざイギリスから。わたしもう呆れるの通り越して大笑いよ」
姉は下を向きながら、ずっとピーナツを刷っている。
口だけ動かして。
俺は蜜柑を置いて腰を上げ、テーブル越しに姉の腕を掴んだ。
ふと、手を止める。
ほら。
大きな瞳を潤ませながら、姉が顔を上げた。
小さく鼻をすする。
「何?」
「我慢、してたんだ。あの人は?」
3年前、姉をヨーロッパなんかに連れ去りやがった、あの男。
「あの人って?」
姉が涙を拭きながら、首を傾げる。
演技なのが、一目瞭然。
「友則さん。まさか、別居中?」
「厳密には、まだよ。離婚調停中」
俺の手を振りほどくと、姉はその腕で涙を拭った。
「今回は、出戻りリセット旅行かな」
「父さんと母さんは?」
「まだ言ってない。感づいているかもしれないけど」
至極真剣な顔のまま、姉は頬杖を着く。
「いつ、あっち帰るの?」
「4日。午後の便で」
「そか」
それから暫く、二人とも無言だった。
沈黙は、嫌いではなかった。
自分は元々、話好きじゃないし他のメンバーほど話上手でもない。
だからあえて、バラエティーの出演は控えている。
「ねえ。イチゴ…壱悟は、わたしが壱悟の童貞奪ったの、怒ってる?」
姉がおもむろに口を開いた。
横に流れている前髪が邪魔で、顔が見えない。
「いや。むしろ、さっさと童貞切れて良かったと思ってるけど」
良かったのかどうか。
それから何度も続いた姉との関係。
どんな女と付き合っても、どんな女を抱いても、比較の対象はただ一人。
「そっか。あ、お茶入れるからね」
考えたように間をおくと、何かを吹っ切るように慌てたように席を立った姉は、流しの横のポットを確認する。
俺も、席を立った。
「会いたかった」
姉を後ろ抱きしながら、俺は耳元で囁いた。
一瞬小さく身体を硬直させ、一呼吸おいてから姉は口を開いた。
「こっちじゃモテモテなんだってね、壱悟は。ちょっと甘く見てたかも」
「ファンは…結構怖いよ。ストーカーや法律違反スレスレの事平気でするし」
姉は、背後から絡み付いている俺の手を小さくポンと叩くと、小さく微笑みカフェラテをフーフー言いながら冷ました。
「でも壱悟全然嫌そうじゃない」
「まあ、ファンのお陰でこの職業成り立ってるし。やりがいは、ある」
「そりゃそうだわね」
「梢ちゃんは、俺に会いたかった?」
わざと当たり障りの無い話題を続ける姉の髪から漂う花の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、あえてたずねてみる。
「………った」
カップを手に持ちながら、小さな声で、姉が呟く。
「聞こえない」
確認するように、俺は耳の後ろで囁く。
「会いたかった、よ」
その言葉が合図のように、俺は姉の顎をに手を伸ばし、唇を奪った。
枕は、洗いたての石鹸と、甘い香りがした。
姉を先にベッドに誘って寝かせると、
「梢ちゃん、俺に触って」
履いていたチノパンの上に、姉の手を誘う。
「すご…い」
張り詰めたそれを、白い長い指で確認するように摩る。
「何か、言って……」
リズミカルに動くそれに煽られたみたいに、小さな懇願が俺の口から漏れる。
「壱悟、脱いで」
言われるままに、着ていたTシャツを脱ぎ、
姉が、感嘆したように小さく息を飲んだ。
「いつもみたいに、前みたいに、言っていいんだよ?」
最後にこういう事をしてから、もう何年経つんだろうか。
ちょっと戸惑い気味な姉に苦笑しながら促す。
「じゃあ……」
姉も俺につられたように目じりを緩ませながら、けれどはっきりとした声音で。
「四つん這いになって」
と澄んだ声で俺に告げた。
「筋肉がついたね…」
後ろから呟きのような小さな声が聞こえた。
これから起きる事に胸を躍らせながら、俺は背中をそらせて仰け反る。
案の定、ねっとりした湿り気がが、窄みに塗りつける。
「壱悟は、ここもカワイイしすごく、キレイ…」
姉の賞賛ともとれる言葉に、肉棒が、ピンと張り詰める。
丁寧に周りを解されると、躊躇いがちにぬるっとしたものが触れてきた。
「んぁっ……」
思わず、声が漏れる。
「ほんとにその表情、そそられるわ。壱悟ここ、舐められるの、好き?」
意地悪な問いと、何度も上下するその生暖かい湿り気に、戦慄が走る。
「すごいね、ここも…」
小さく息を秘部に吹きかけながら、姉は俺の張り詰めたモノにも手を伸ばす。
「濡れてるよ?」
先っぽの小穴から溢れている体液を、指で塗りつける。
「ん……ああっ」
舌以外の柔らかくて硬質な何かが、 恥ずかしい秘穴に侵入する。
同時に、横から手を回されて昂ぶりを擦られる。
「梢ちゃん、俺の下に寝て…」
言われるがままに俺の下になると、姉は舌を駆使して俺の下半身を擽る。
「はあっっっ」
彼女の下肢を広げると。
熟れた桃のような双尻が、赤い亀裂とそこから覗く花びらが、目の前に広がっていた。
暖かくて芳しい匂いが更に自身を熱くした。
その上の菊花に鼻を埋めながら、舌を溢れ続けている蜜壷に這わせてその味を芳香ごと堪能する。
彼女も負けじと、俺の弱い後ろの部分や裏、先端の張り出している部分をチロチロと舐め回す。
「んあっ……」
「ふぁっあぁぁっ…」
お互いの粘着質な音が部屋に響き渡る。
「イチゴ…壱悟…もう、挿れて……」
どれだけお互いの下肢を堪能していたのか、姉の降参を意味する嘆願の呟きが、耳に届いた。
俺は彼女の足元に移動して、両足を持ち上げる。
「いくよ?」
「ん………」
先端を蜜壷に宛がいながら顔を覗くと、この10年間、何度も思い出した彼女の表情がそこにあった。
泣きそうに潤んだ瞳。
潤い、桜色に染まっている素肌。
喘ぎを出すまいと噛んでいた唇。
思いがけず、一気に突き刺す。
もう、我慢の限界だった。
「梢っ、梢っ!」
「いち…ごっぁぁぁあああっ!!!」
お互いの名前を呼ぶ声が、何度も部屋に響き渡る。
俺らはその夜、確認するかのように何度も溶け合った。
「ねえ…」
気だるげに身体を反転させて、梢が俺の脇の下に顔を埋める。
俺は彼女が楽なように、腕を頭の下に差し入れる。
「壱悟がこんな感じなの、彼女とか知ってるの?」
俺は姉の枕に広がる髪を梳きながら、小さく首を振る。
「彼女は、今いない」
「じゃあ……」
「もちろん、普通の女は俺を満足させてくれない。友則さんは?」
姉も無言で、首を振る。
「性生活も、離婚の原因のひとつ…かもね」
どこをどう触れば、俺が好きなのか、反応するのか、全て知っている唯一の女性(ひと)。
彼女しか踏み入れる事を許さない、俺の秘密の領域。
それは彼女も同じなのだろうか。
「じゃあ、他の原因は?」
手で姉の顎を持ち上げる。
「それは……結婚なんて、一時の感情や勢いでするものじゃなかったわ」
「そうなの?」
「そうよ。蓋を開ければ、赤の他人。どんなに偽ってても猫かぶってても、ボロが出る。お互い忍耐がなければやっていけない」
「友則さんのこと、好きじゃなかったの?」
「好き…だったわ、最初は」
「最初は。夫としては、失格だったわけだ」
濃い睫毛に縁取られた切れ長な眼を伏せると、彼女は返答を躊躇する。
「結婚なんて、もうこりごり…」
彼女に何が起きたのか、分からない。
ただ、静かに吐き出されたその一言が、全てを物語っていた。
少しの間、沈黙が続いた。
「愛してる」
彼女が言い出しやすいように、けれど自分の為にずっと言葉に出来なかった気持ちを口にする。
「俺は梢ちゃんを絶対傷つけない」
彼女が弾かれたように俺と視線を合わせる。
「私も、ずっと、イチ…壱悟の事、好きだった…」
「過去形?」
「今も、これからも、ずっと好き」
彼女以外、誰も俺を満足させてくれないと思う。
きっと彼女も、それは同じで。
今までも、これからも。
目を瞑り、彼女から漂う花の匂いを、肺いっぱい吸い込む。
その夜俺は。
やさしい金色の光に包まれたまま、眠りに落ちた。
溢れんばかりの愛情に内側から満たされ、浄化されていくような。
そんな不思議な世界にいる夢を見た。
「俺、一生結婚する気ないから」
「どうしたの突然?私の話聞いて嫌になっちゃった?」
俺は首を振る。
ちがう。そうじゃない。
「だから、これ一応プロポーズ」
「え?」
姉が…いや、梢が首を傾げた。
「梢がこの先一生する気一切ないなら、俺も一生結婚しない。でも、梢の傍にいたい。俺は一生梢のものだから。11のあの日から。ファンのもんでも、事務所のもんでもない」
「そんな無表情で言われても、嬉しくないわ」
「無表情は…俺のじなんだけど。努力してみる。演技の時とベッドの中だけだよ、感情豊かになる時は」
「……知ってる」
「じゃあ、戻ってきて。またすぐ、日本へ…俺の居る所へ戻ってきて」
「うん」
絶対だから。
と梢の耳元で囁いた。
効果抜群なのを百も承知で。
あいしてるよ、と。
案の定。
梢は真っ赤になって、照れ隠しのように横を向き、じゃあねと言って俺に背を向けた。
俺はふと考えた。
次は、またいつ会えるのだろう?
彼女は今度いつ、俺の元に戻ってきてくれるのだろう?
セキュリティーゲートを越え、出国審査までのエレベーターを下っていく梢に手をふりながら、しっかりとその姿を目に焼き付けながら。
エレベーターから梢の華奢な体が消えるまでの短い時間を、その姿を目に焼き付けながら。
さりげなく、手を左胸の上に、置く。
漠然とした不安と寂しさを、かすかな胸の痛みと共に、味わっていた。
いつものように、やがてその感情が、寂しさからやさしさへと変わる事を祈りながら。
だけど今回は。
永遠にあの人を手に入れられる。
俺の元に戻ってくる。
確固たる自信があった。
手ごたえがあった。
そうだ。
彼女は帰ってくる。
ブブブブブブ。
と、バイブにしてポケットに入れていた携帯が突然鳴り出した。
取り出して着信を確認すると、ハワイに出かけていたウダこと宇田川からのメールだった。
『今、成田に着陸した。ターミナル2、NAL005便。車出せるなら、30分以内に迎えよこせ』
「相変わらずだな……」
仲間からのタイミング良いメールに口元が綻ぶ。
「よし」
と小さくこぶしを作り気合を入れると、俺はセキュリティゲートに背を向けた。
<完>
“顔、すごいよ。とりあえずこれで拭きな”
家に帰ろう、とか言ったくせにあたしの顔を覗くとこのまま帰ったら家にいるお母さんに怪しまれるからと、健人はポケットからキレイにたたまれた紺色のハンカチをあたしに手渡す。
あたしは、象の鼻を模した滑り台に寄りかかって背中を凭れていた。
折り目がきちんとして清潔そうなそれは、宇田川がいつかあたしに手渡したくっちゃくちゃのそれとは正反対だ。
涙を拭いて、あたしは改めて目の前に立つ健人を見つめる。
口端を切らし、米神が赤く腫れている。
黒色のVニットのセーターも、土ぼこりで汚れていている上、髪の毛もボサボサだ。
よく見ると、寝ていないのか目が落ち窪んでるし、心なしやつれてる。
なのに、茶色く染めてる髪が、太陽に透けてキラキラしてる。
“そこ、拭いきれてない。なんで愛理は……はあっ”
あたしからハンカチを奪い取ると、健人は溜息混じえながら頭振りながらあたしの顔をぬぐう。
その手つきが、やけに優しい。
“健人…あんたも、口切れてる”
健人は不機嫌そうに顔をしかめた。
“これくらい、なんともない。愛理、頭、大丈夫?まだ、痛む?なんで家で安静にしてないの”
手の甲で口を拭うと、そのまま手を動かして説教交じりに返答する。
“全然平気。抜糸もあと2週間だってさ”
“知ってる”
あ、やべ。
そういえば、退院の時お医者さんから激しい運動絶対禁止とか言われてたのに、暴れてうぉりゃりながら喧嘩の仲裁入っちゃったし。
ハッとしてたのか、あたしの顔色が微妙に変化してたのか、健人が手を伸ばしてあたしの手に触れる。
無表情ながら、なんとなく眼を細める。
うわあああああ、どーーーーしよ。
前まで以上にドキドキ感倍増なんですけど。
一晩寝かせただけで、カスピ海ヨーグルトもビックリ!のドキドキ倍増繁殖ぶり。
“あああああれっ?なんで健人現れたの?最近家帰ってなかったのに??どっどっどっどーしたのさっ?”
“帰ってたよ。愛理が知らないだけで。今日だって家に帰ったら…”
そこで喋っていたら多分言い淀んでるみたいに、だけど手話の健人はバツが悪そうに眼を伏せる。
“家に帰ったら、母さんが愛理は眼鏡かけた男と外出て行ったっていうから”
だから、追いかけてきたの?
とのあたしの無言の質問に、ぶっきらぼうに
“そうだよ”
と小さく頷く。
“それとも、俺が来ない方が良かった?愛理はあのアイドルとあのままいちゃいちゃしてたかった?あいつの前でした俺とのキスも、満更じゃなさそうだったけど?”
「ま、ま、ま、満更…じゃなくないもん!」
宇田川の前でチッス(KISS)しちゃったのを思い出し、顔が火照るのを感じる。
“へえ、そうなんだ”
その火照りを感じてるのか否か。
いや、絶対感じてるだろーけど、健人が微笑を浮かべながら触れているあたしの手の中にハンカチを押し込む。
“今度は愛理が、拭いて”
言いながら、目を閉じた。
右目の横を赤黒く腫らしているのに、口角が破けているのに、すらっと切れ長の目を縁取っている濃い睫毛の下に影が出来ている。
その上夕陽が、キラキラと健人の茶色い髪を背後から照らしている。
夕方の風が、さらりとその髪を揺らして通り過ぎていく。
キレイ……。
思わず、見入ってしまう。
あたしの極短まつげは、エクステとか付けまつげしない限り影は出来ない。
眉毛だって手入れなしでこの形って、ありえない。
おでこについた土をハンカチで拭ってあげる。
ほんっと、なんで同じ親のDNA引き継いで生まれたハズなのに、こうも違うんだろう。
“もうちょっと、優しく出来ないの?ほんっとに不器用だな、愛理は”
眉間にしわ寄せながら、指と口を動かして健人が抗議する。
“あ、いい事思いついた”
健人が突然伏せていた目を上げた。珍しいほど、破顔する。
ううっ。
いつもながら、激まぶしぃ。
思わず額に手を翳したあたしの手中からハンカチを奪い取ると、笑顔のまま健人は手を動かす。
“愛理俺の傷、舐めて”
「はっ?はあ~~~~?」
どきぃぃぃぃっっっっ、って心臓が口から飛び出そうになった。
「なんで突然そうなるの?」
健人は微笑みながら、あたしの抗議の声を無視して手を口元に持って手話で訴える。
“あ、殴られたキズが痛む…”
さっきは「これくらい、なんともない」っつってたろ!!
とのあたしの心の抗議をお見通しの健人は、
“唾液には殺菌効果が意外なほどあるらしいよ。母さんにも素手では殴られた事ないのに、俺がこんな姿なの一体 だ れ の せいだろうね?”
と言いながら、切れた口端をチラッと舌で舐める。
「なら、自分で舐めときゃ治るでしょ!!た、確かにお母さんは素手じゃなくていつも鞭とかSM道具使ってたし、プロ級の力加減で子供のあたしたちにお仕置きしてたけど……」
あたしは深く息を吸った。
健人は、明らかにあたしを試してる。
あたしの意思を、気持ちを、試してる。
真剣にあたしを見つめる健人の双眸が、あたしの視線とぶつかると微かに翳りを帯びて小さく揺らいだ。
健人……。
「っ!」
健人が息を飲む音が聞こえた。
不安げな瞳に射られたあたしは、気づいたら健人の首の後ろに手を回してた。
きっとあたしの表情は、茹ダコみたいに真っ赤だ。
自分でもその火照りを感じる。
上目で健人を見ると……。
意外な事に、驚いた表情のまま硬直していた。
あたしは意を決して、ちろっ……って健人の切れた口の端を舐め取る。
鉄の、味。
健人の、香り。
ちろっ。
ちろっ。
猫みたいに舐め続けていると、閉じた唇の隙間から小さくはあっ……って健人の吐息が口から漏れる。
それでも舐め続けていると。
あたしの舌に、健人のそれが軽く触れる。
「あ……」
と。
突然肩を掴まれ、その行為が中断された。
再度健人の双眸とぶつかる。
黒く艶めいているそれは、先ほどの翳りが無くなっていた。
その代わり、温かみを含んだ野生的な輝きを放っている。
……ように見えた。
あ い り
まるであたしの名前を呼んでいるみたいに、健人のひんやりとした両手が、確認するようにあたしの頬をしっかりと包み込む。
思わず目を瞑ると、湿り気と温もりが、再度あたしの唇に落ちた。
ああ。
駄目だ。
あたしの理性という言葉を積み重ねた壁が、音を立てて崩れ落ちていくのを感じていた。
健人。
小さくて温かな息吹が口の中に吹き込まれる。
それはいつしかあたしのそれと一体化して…。
あたしやっぱり、健人の事が好きだ。
「んっ…」
ヌルリとした熱が歯間をぬって、あたしのそれに絡められる。
あたしは頭の中で確信していた。
健人が、好き。
大好き。
舌を絡ませながら、健人は小さく息を吐く。
あ い り
もう心の声は聞こえないのに、健人があたしの名前を呼んでいるような気がした。
健人、好き。
湿っぽくて粘ついた甘い音を耳で聞きながら、栓を抜いたら溢れ出しそうな言葉を抑える。
抑えながらも。
何度も何度も角度を変えて執拗に訪れるその柔らかさに、あたしも無我夢中で応えていた。
どれ位時間が経ったのか。
気づくと、橙色だった空が夜を告げる群青色と見事に溶け合ってた。
辺りは薄暗い。
ってちょっと詩人っぽく呟いてみたけど。
健人は突然、身体を離しキスを止めた。
濡れた唇を軽く舌で舐め取ると、手でサインを作る。
“ありがとう、愛理”
健人の表情は、春の到来(?)みたいに、どこか清清しい。
さっきから、ずっと機嫌が良さそう。
「なな、何が?」
あたしが明らかに動揺した、(っつっても健人には聞こえないだろーけど)うわずった声で聞き返すと。
“とりあえず、行こう”
と指で合図すると立ち上がって、あたしの手を引いて歩き出す。
「どどど、どこへ!?」
とビビりながら、半ばキスの余韻に浸ってるあたしをよそに、半ば引きずりながら、無言で健人は駅に向かって歩き出した。
駅付近でタクシーを拾うと、健人は運転手に紙切れを見せた。
健人の泊っている六本木駅の東京タワーが見えるホテルの部屋には、コンピューターのモニター6台やラップトップ、ハードドライブ数台が鏡台やらテーブルに所狭しと置かれ、それらの合間を幾重もの配線が駆け巡っていた。
「ココは……諜報部員の隠れ部屋?トム・●ルーズが天井からぶら下ってないかな~~?」明らかにスパイ大作戦的、電磁波飛びまくりの脳に影響及ぼしそう~な環境。
緑化運動しようか、うん。
なんてキョロキョロしてるあたしをよそに、健人はあたしに背を向けて土埃のついたセーターとその下のTシャツを脱ぎすて小ざっぱりした新しいTシャツに着替える。
電磁波の総本山みたいな秘密基地みたいな部屋の反対の壁際は、ツインサイズのベッドが置かれていて、ルーム清掃が入ったのか余分な物は置いておらず、きちんとベッドメイクされ小ざっぱりしている。
あたしの部屋の廊下を挟んだ反対側の健人の部屋も、こんな感じに色々と電気機器系統が置かれてる場所と、無機質で生活感のない場所とに分かれてる。
あたしのキョロキョロ視線に気づいたのか、聞こえないとタカをくくって呟いた阿呆な独り言洩らしたのを察知したのか、健人がコンピューターを指差しながら、
“これが、トレーディング用のコンピューター、これが今作ってるゲームで使ってるやつで、これが一番の主要な脳みそ。あ、愛理ぶっ壊すから触らないで”
と注意しながら説明する。
そりゃあ、前にお茶こぼして健人のコンピューター大破させたことあったけどさっ。
あん時も、健人に「お仕置き」と題されて、色々と……。
かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~/////
ああ、あたし自爆してるし。
“さっ触りませんよっ。こんな感電死しそうなもんっっ。あたしの理想は…”
“老衰で、大往生、ね。5万回位聞いた”
ゴホン、とあたしはそこで気を取り直して咳払いする。
“判れば宜しい。んで、何のゲーム作ってるの?”
前に悦子ちゃんがそんなような話してたのを思い出して、聞いてみる。
悦子ちゃんとの関係も……どうなってんだろ。
健人はちょっと驚いた顔して、あたしを顧みた。
“愛理、どうしたの突然?前まで俺が何してようと全然興味なかったのに?”
え?そうだったっけ?
そういえば、初めて…かも。
今までは健人がどんなにヲタッキー(ヲタク系)な事してようと、どーでもよかった。
なのに今頃になって、知りたいとか思っちゃってる。
“今、俺の会社で作ってるのは……”
「俺の会社!?!?!?!?!?!?!」
ビビッて大声で聞き返すあたし。
“ああ、今オンラインゲーム作る会社やってる。社員は俺を含めた数名だけだけど。新作のRPGのプログラムやディベロッピングが主。言ってなかったっけ?”
“言ってない言ってない”
と、指されたパソコン数台見つめながら、呪文?のような言葉の羅列を聞きながら、あたしはブンブンと首を振る。
“そんなに頭振ると、傷に触って悪い頭がもっと悪くなるよ”
“一言余計だから。って、あのさ、あんた、このあいだ宇田川にサイバー攻撃かけたでしょ?”
あたしが宇田川の名前出すと、健人はメールチェックしていたのかさり気なくマウスを動かしてた手を止める。
“サイバー攻撃?ああ…大したことしてないよ。今のところは。なんで?あのアイドルが何か言ってた?”
「今のところ!やっぱりしたの!?」
思わずあたしは大声を出す。
“ウイルスとスパムメールを15種類くらい発信源世界各地にすり替えて送ったり、あいつの事務所のコンピューターにハッキングしてあいつの個人情報情報もらっただけ”
“ウイルス!?ハッキング!?情報もらっただけ??”
“ちょこっとだけ個人情報流させてもらったけど。でもこれは愛理を巻き込んで傷つけた、罰。まだまだ手は打ってあるけど、全ては愛理次第だよ”
“あたし…次第?”
“愛理があいつと会い続けるなら、遠隔操作で色々する。あいつの生年月日のみならず家庭環境、生活環境、出身校、癖、趣味、行きつけの店、あいつに関する大まかな事実は、掴んでる”
健人が天使のような笑顔になった。
“だから、愛理次第”
でも冗談じゃないのは、眼をみれば一目瞭然だ。
そのお人形みたいな表情に、背筋が凍りつく。
あたしは何度も、本気で怒ってる時の健人のその笑顔を目にしたから。
「その必要はないよ!だって……」
だって、あたしが好きなのは健人、だし。
のどまで出かかった言葉を、かろうじて飲み込む。
“わかってるよ”
健人は小さく息を吸った。
“理解してるよ”
理解?
理解って、まさかまさかまさかあたしが宇田川に言った事、聞こえてた…とか?
ど、どうしよ……。
大声で健人への気持ち宇田川に告げちゃったけど。
まさかまさかまさかまさか………。
ちょっとだけ、ドキドキと胸が打ち始める。
“俺らの事、気味悪がってたね”
ほっ……。
って思わず安堵の溜息が出ちゃった。胸をなでおろす。
健人には、聞かれてない。
よかった。
でも、確かに。
怒りまくりの宇田川に、キモチワリー、って言われた。
今さっきの出来事を思い出して黙り込んで俯いたあたしの顎に、手が置かれる。
“愛理、俺がここ最近ずっと口にしてる事、覚えてるよね?”
「ここ最近?」
“愛理の事、姉以上に見てるって言った事”
あーもう。
せっかくつい一秒前に収まった心臓が、またバクバク音を立て始めちゃったし。
“俺は、別に誰に何を言われようと気にならない。もう今更、モラルとか常識とか、関係ないと思ってる。だからあいつが何を言おうと、俺は何も感じないよ。他の人間が言うことなんて、いちいち気にしない”
それは……。
黙りこくってるあたしに構わず、健人は続ける。
“だから愛理がさっきあのアイドル振った時、俺を選んだ時、嬉しかった”
邪気のない、清流のような笑顔があたしの目の前に広がる。
「選ぶも何も、あんたが勝手に邪魔して突然……」
言い終わる前に、健人の手で遮られる。
“愛理、さっきの続き…していい?”
「さささ、さっきって、さっきの…?」
きききききっすですかい?
“俺、もっと愛理に……”
健人は途中で動かしていた手を下ろす。
けど、その続きは手話じゃなくても、頭の悪いあたしでも理解できた。
触れたい。
肩を掴まれる。
あたし、弟を、こんなに意識してる。
ただのキスなのに、宇田川とは何にも感じなかったのに。
健人の見なれた、ムカつくほどキレイな顔が、近づいてくる。
「健……人…?」
自分の気持ちに気づいた今、もう前に戻れないように気がした。
目を瞑ると、一つ、キスが降りてきた。
今日3度目の、甘い甘いキス。
“愛理は今…何考えてるの?”
静かに唇を離すと。
健人はあたしの手を取って自分の胸に押し当て、そう尋ねた。
あ。
ドキドキ言ってる。
薄いTシャツ越しに、早く鳴り響いてる健人の鼓動を感じる。
“俺の事?それとも、あいつ?”
ちょっと強引に、引き寄せられる。
この先起きうるいつもの情事を想定したあたしは、ちょっと怯えて反射的に身体を引いた。
“愛理、さっきもあいつに触られてた時、そういう表情(カオ)してた”
「えっ?」
言いながらあたしの顎をクイってあげて視線を合わせる。
健人は、あえて色を隠した暗い眼をしている。
“俺以外の人間に、そういう表情見せないで”
その顎の手を動かして器用に手話しながら、無声で口動かしながら、あたしの首筋をゆっくりたどっていく。
“俺以外の人間に、触れさせた、罰だよ”
肩上の髪の毛をはらりと払うと、健人が首筋に顔を埋めて、歯を立てる。
つーって鎖骨を下りた確かな温もりが、あたしの柔らかい曲線を包み込んだ。
もう、止められないよ。
神様……。
と、その時。
『俺の名前じゃなくて、なんで神様なの?』
あたしの頭に、聞きなれた…けれど懐かしい声が突然響いた。
え?
思わず、顔を上げる。
『俺の事、好きなんだね、愛理』
え?え?え?
健人があたしの首筋をぺロリ、と舐める。
「ひゃっ!って、ええええええええ!?ここここ声が…健人の声が…って、ええええええええええええええええええええ????????????」
大パニック&大混乱で言葉おかしくなってるあたしの耳にかかった髪の毛を、健人が払った。
キスの雨を降らしながら、言葉を紡ぐ。
『さっきからもうずっと、愛理の言葉、垂れ流し状態。まる聞こえ』
健人の嬉しそうな声が、あたしの脳天を直撃した。