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茶封筒の中身    07.11.2007
“茶封筒の中身”
 
 
 「オフィスにこのようなものが届いたのですが。」

ノックをして社長室に入ってきたのは仁神堂(にがみどう)だった。
私は、サインしていた書類の山から顔を上げる。
その手には茶封筒が握られていた。

私は嫌な予感がした。

仁神堂の顔はいつもながら無表情だったが声音がいつもと違っていた。
どこがどう違うのかと聞かれても上手く説明できないが、いつもより低くて、なんとなく怒りを秘めたような、そんな声だった。

私の予想通り、その茶封筒の中から『仁神堂 浬(にがみどう かいり)に関する調査書』と書かれたレポートを取り出して私に見せてきた。

しまった。
どうして私が手に入れる前にこの男の手に渡ってしまったのだろうか?

「ああ、それは…。」
と言いかけた私を
「社長が私にご興味をお持ちだとは思いもしませんでした。」
という言葉で制してしまった。
仁神堂は強い声音で続ける。
「私のレジュメ(英文履歴書)はもう既にお手元に有る筈です。」

彼のレジュメには何度も目を通していた。
東京大学の社会学部を卒業した事やハーバード大学大学院で法科の LeD を取得した事。その上、ニューヨーク州公認弁護士資格すら有している事実も知っていた。

「ええ。持っているわ。」
でも、この頼りない二枚の紙切れを読めば読むほどこの男の過去について興味を持った。
「私はそれで充分だと思いますが。」
と言いながら大きなデスクの前に座っている私の前に立ちはだかる。

「従業員について…特に、四六時中行動を共にする個人秘書についてもっと良く知りたいと思うのは、上司として当たり前の事だと思うのだけれど。」
私の口をついて出たのはこんなにも説得力の無い、弱々しい言葉であった。
「それならば、直接私にお聞き下さった方が早いのではないでしょうか。」
今日の仁神堂は無表情ながらもいつもより言葉が攻撃的だ。
恐らく、怒っているのであろう。
「聞いたら答えてくれたの?私の質問に?いつも無口で無表情の貴方が?」
あはははは、と声を上げて笑い出す。
私はこの冷血漢が怒っているという事実が無性に可笑しかった。

仁神堂は方眉をあげる。
「質問さえしてさえいただければ。…何なりと。」
と言った後、
「これは、要らないでしょう。」
と踵を反して部屋を大股で横切り、手に持っていた調査書を全部片隅に置いてあるシュレッダー機にかけてしまった。

「あっ。」

驚愕した私は、声も出なかった。
いままでこんな突拍子も無い行動に出た仁神堂を見たことが無い。

仁神堂は腕時計に目をやりながら、
「鈴木様がいらっしゃるまであと十分ほどあります。丁度いい機会ですので、ご質問がおあでしたらさあどうぞ。」
と言って私のデスクの前の椅子を引いて腰を下ろした。

さあどうぞ、と言われても……。
私は冷静に考えた。
調査書なら、この男の手を介さずまた手に入れることが出来る。
今度は極秘で。
だけど今は、仁神堂とこのやりとりが楽しめそうだった。
私は口の端を引き上げてニヤリと微笑んだ。
こんなチャンスは二度とないかもしれない。

「そうね…。出身はどこなの?」
とりあえず、英文の履歴書に書かれていない事から聞こうと決めた。
「生まれはシアトルです。家は横浜にありますが。」
声音はまたいつもの冷たい感情の無いものに戻っていた。
眼鏡の奥で茶色い瞳が真っ直ぐ私の目を射る。
「幼少時代はシアトルで過ごしたの?」
だから彼の英語は流暢なのだろうか?
日本語訛りは一切無い。
「まあ、そのようなものですね。」
「歳は?」
「三十三になります。」
私よりも年上だとは思っていたけれど、三十を過ぎていたなんて…。
「家族構成は?」
仁神堂は長い睫毛を落として低く唸るように答えた。
「両親は既に他界しました。兄弟も、おりません。」
なるほど。
これで何となく仁神堂という男の概観が掴めて来たように思えた。
「それは…。ごめんなさいね。」
「いいえ。昔の事ですので。」

しばしの沈黙。

突然、『質問しろ』と言われてもそうなかなか質問など思いつかないものだ。
仁神堂は再び時計に目を落とす。
「あと八分ですね。もう質問はないのでしょうか?」

「えっ?あ、ああ。えっと、何故うちの会社に入社したのかしら?弁護士の資格まであるのに。」

これは以前から不思議に思っていたことだ。確かに会議中、私は仁神堂の法律的な助言によって何度か救われた事があった。

「それは既にレジュメの方に書いておりますが、私は、貴方の祖父の敬一郎様の経営方針と人間性に幼少の頃から憧れておりました。このような素晴らしい方の下で働いてみたいと。」
「そうなの…。」

学歴の無い私の祖父は一代で財を成した。
戦後町の小さな電気屋、國本電気をゼロから始めて世界に誇る日本の電気機器会社、KUNIMOTO JAPAN にまで広げた男である。
その経営手管と人間性に惹かれて人が集まりここまでになった。
私も祖父を誰よりも尊敬している。

「他には?」
仁神堂が沈黙を破った。
私は考えを巡らせる。
「そうね…仕事が休みの日は家で何をしているの?」
もう彼の私生活についてしか聞きたいことはなかった。
「エクササイズをしたり、本を読んだりしています。」
「あなたには苦手な物とかあるのかしら?」
この冷徹男に苦手なものがあるとしたら、是非とも聞いてみたい。
「さあ、考えたこともありませんが…あえて言うならば日本語の敬語でしょうか。」

なるほど。
こっちで育っていれば敬語を使いこなすのは難しいかもしれない。
別に気に留めたことも無かった。
またしばしの沈黙。
私は意を決して、遂に一番聞いてみたかったことを聞いてみる事にした。

「仁神堂、あなた結婚はしているの?」

三十三歳であれば、結婚していてもおかしくない。
子供もいるかもしれない。
何故今頃になって私はそんな事に興味を持ったのかしら?
聞いたからってどうするつもりもないけれど…。



「ぷっ。」
空気が一瞬揺らいだような気がした。

仁神堂が私の下で働き出して一ヶ月ちょっと。
私は、今、この瞬間、初めてこの男が笑うところを見た。

この質問の何が面白かったのだろうか?
口元に拳を置きながら突然ふきだした。
形の良い唇の両端を引き上げ、皺をつくって仁神堂は顔を崩す。
くっくっく、と小さく笑い声を上げる。

不思議だわ。
何故だかその破顔した顔と柔和な薄茶色の瞳から目が離せなくなってしまった。

「しておりません。今は対象になりそうな相手すらおりませんので。」
「そ、そう。」


こんな男の笑顔がなんだって言うの?
私は氷の女王、私は氷の女王…。
と呪文のように唱える。
そんな冷静になろうとする頭の中とは裏腹に、胸の中は熱く締め付けられた。

仁神堂はまだ顔に笑みを称えながら、視線を腕時計に下げる。
と、その時仁神堂の携帯が鳴った。
「社長、失礼致します。…もしもし?」
私に背を向けて電話に出た。
「かしこまりました。お通しください。」
と、言って電話を切った仁神堂はいつもの仁神堂に戻っていて、
「もう鈴木様がご到着なされました。すぐ社長室へいらっしゃる事でしょう。」
と、振り向きながら私に伝えた。

「ねえ、仁神堂。」
そう。
こんな男なんとも思っていない。
私は彼の上司。
ただ、それだけなのだから。
だから......この質問だけはしなければ。
「最後の質問。あなたはこの間の、ジェットでのキスをどう思ったの?」

椅子に深く腰かけ、足を組みながら私は不敵に笑って見せた。
部屋の明かりが彼の眼鏡に反射して表情を読み取ることが出来ないが、仁神堂は再び方眉を上げながら、
「どう思ったか、ですか?」
と聞き返した。
私は頷く。
暫く間を置いて仁神堂はゆっくりと口を開く。
「それは…。」

コンコン。
言いかけた仁神堂の言葉を消すように大きくノックがした。
仁神堂はドアを振り返る。
席を立ち、
「…ご到着なされたようですね。社長、お通ししますよ。」
と言ってドアを開ける。
私は彼の返事を聞き逃した事に少し落胆しながらも、頭をいつものビジネスモードに切り替えた。
顔に笑みを称えて席から腰を上げる。



 鈴木氏との退屈な個人会議中、始終私の隣で黙って立っていた仁神堂は、話も退屈の極みに入って私がそろそろ打ち切ろうかと思い始めた矢先、
「社長。」
と言って突然私の耳元に顔を寄せてきた。
いつものように小声で経済的な助言をしてくれるのかと思いきや、彼は低くて感情の無いいつもの声音で一言呟いた。
それを聞いた私の体の温度は一気に上昇する。
仁神堂はその後も、何事も無かったかのように無表情で私たちの会話を聞いていた。



私はまたしてもこの男にやられた。
仁神堂は鈴木氏と談話中の私に、
「あのご質問のお返事ですが、もう一度試してみたい、と私は思いましたね。」
と涼しい顔で答えたのであった。


 
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