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There 4 me Ⅱ    06.05.2007
 10分ほどすると、鷹男はタオルを口に当てたままバスルームから出てきた。
シャワーを浴びていたのか、髪の毛も体も濡れている。

「そんな所に座り込んで何をしている」
さっきの衝撃から立ち直れないでいる俺を一瞥して、そのまま寝室に向かう。

「俺は、これから用が有る。お前は適当に好きな服をここから取って帰れ」
鷹男は俺の前で全裸になり、手早く服を身に着けた。

俺は鷹男の裸の広い背中を眺める。
元ハンマー投げの選手だけあって、背筋も並みのサイズではない。
鷹男の脈々と波打つ筋肉が、羨ましい。
酔いそうな程、男の色香を放っている。
くそっ。
なんでまだドキドキ言ってんだっ。

『男』との、『鷹男』とのキスだってのに。
未だにショックから立ち直れねえ。

俺は悔しくて血が滲むほど唇を噛み締める。
鷹男に気づかれないよう、2度ほど深呼吸した。

「ああ、森尾か。ロビーに居るのか?分かった。今行く」
再び濃紺のスーツに着替えた鷹男は、コーヒーテーブルの上の書類の山の上に札束を何枚か置く。
「これでタクシーを拾って帰れ」
無言の俺をチラリと視線の端でとらえ、鷹男は部屋を出て行こうとする。
一瞬俺を映したその眼は、冷たく無表情だった。
「来週の、この日に」
低い声で言い残して、鷹男は出て行った。







 肩の痛みは泳いでいる最中感じなかった。
やっぱり、自分の一番のストレス解消は、水泳だと思う。

水泳をしている時、ふと自分の体が宙に浮いて、泳いでいる自分をそのまま見下ろしているような錯覚に陥る。

俺を傍観者として見つめる、もう一人の俺。
まるで幽体離脱か何かをしているような、ぼんやりと曖昧で、まるで幻覚を見ているような感覚。

泳いでいる時の苦しさや辛さを一切感じない。

山田にその事を話してみたら、
「そんなの俺しょっちゅうだよう。特に集中してる時ぃ」
と言っていた。

無我夢中で泳いでいた俺は、泳ぎながらそんな錯覚に陥っていた。

一通りのルーティーンを終えると、
俺はゴーグルとキャップを外して水から這い上がる。

いつもはプールの主みたいな、うるさい山田の姿が見えない。
「ああ、まだ合宿だっけか」
そろそろ戻って来るだろうな。
山田には、色々と話したい事がある。
天然馬鹿だけど、俺の知ってる誰よりも物事の善し悪しが分かってて、誰よりもクリアなビジョンで明確な判断が下せる不思議な男。
その上、陰の努力家だからプールに朝は一番早くに来て、夜は一番最後に帰るのを俺は知ってる。
去年の春は10年以上もの片想いを実らせて、キレイな年上の彼女と今も幸せそうだ。
山田の中ではもう明るい将来家族計画が進んでいるらしいし。
ミーナさんだったら、あの猛獣を上手く扱えるんだろうとは思うけど。

それにしても、あいつが居ないとこのプールも学校も静まり返って不気味な程だ。

俺はタオルを掴んで頭を拭いた。
手を上げた瞬間、コキっと肩が変な音を立てる。
そして、鈍い痛みがジワジワと広がっていく。

やっぱ、使いもんになんねえな......。

俺は溜息をついて、プールサイドのプラスチック製の椅子に腰掛けた。
後で氷か何かで冷やしておこう。

タオルで顔を拭っていると、ふと指が自分の唇に触れた。
.........。

途端にフラッシュバックであの時の事が鮮明に蘇る。
あの感触、頭から離れねえっ。

俺はタオルで汚物を拭き取るかのごとく、ゴシゴシと口を拭い、そして頭を抱え込んだ。

なんであのおっさん顔が、あの感触が離れねえんだっ。

この6ヶ月間、ほぼ毎週鷹男に抱かれ、奴の癖や性癖もだいたい掴めてきた。
女......いや、人間全般に服従を求めるドS野郎。
確かに、毎回バトルのような攻防戦(と、言うより一方的な服従)をベッドの上で繰り返し、体力的には消耗するが、別に前ほどの嫌悪は無くなった。

いや、鷹男との......『男』とのセックスに慣れてしまったのか。

体の事は全然気にならないのに、なのに何故かここ数日間、俺は悶々と奴とのキス......奴の口が当たった時の事を考えていた。

「あああああああああああ~~~~~~~~~!!!!」
獣の咆哮のように俺の絶叫がプールにこだまする。

忘れてえ。
人生最大の汚点。

俺がずっと守っていた聖域を、あの傲慢ヤロウに侵された。
俺の最後の砦を、いとも簡単に破ってきやがった。


「あのう......佐々木さん?」
ふと、頭の上から女の声が降って来る。
「あ、はい?」
俺は瞬時に顔を引き締め、その声の主の方へ向き直った。
飛び込み選手の、竹脇さん。

結構俺の好みだった。
........。

だった?
だった、て過去形?
んなはずねえよ!

好みだ。の間違い。

俺は首を振って意図的に魅惑の笑みを浮かべる。
「竹脇さん、どうしたの?俺に何か用でも?」
言いながら俺は椅子から立ち上がり、彼女の濡れた前髪を故意に額から払う。
一瞬顔を赤らめると竹脇さんは、
「お外でお友達が待っていらっしゃるみたいですよ」
とガラス張りになっているプールの向こうを指差した。

俺と目が合うと、口にだけ小さく笑みを浮かべて、俺を待っている男は手を振った。





「紅!」
俺は慌ててロッカー室に戻り着替えて紅の待っている通路まで駆けていく。
「何やってんだ、ここ生徒じゃなきゃ入れねえはずなのに!」
「俺まだ大学生に見えるみたい。受付素通りしても何も言われなかったよ」
俺は頭からつま先まで紅を見る。
確かに、上下スウェット姿の紅は、怪我をしたスポーツ青年って見た目だ。
顔に視線が移ると、紅はニコリと微笑んだ。
少し、物悲しげに。
「翠、殴っていい?」
「へっ?」
言うなり紅は持っていた松葉杖を高く振り上げた。
俺は咄嗟に目を瞑る。


ばんっ。

と音がした。

片目だけ開けて見ると、紅がさっきと同じ悲しい微笑を顔にはりつかせたまま、振り上げた松葉杖を思いっきり床に放り投げていた。
「な、なんだよ突然!」
「翠ゴメン、拾ってくれる?」
俺は紅の杖を拾い上げ彼に突きつけながら声を上げる。
「一体全体何だってんだ?」
いや。
何となくだけど......理由は想像できた。
真面目な顔つきで、紅は顎で合図する。
「ちょっとドライブ付き合ってよ」
そう言うなり、俺から杖を奪って踵を返し、さっさと歩き始めた。

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