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紅色吐息    06.02.2007
 俺の生活は翠一色に染まってしまった。
机の横の壁に貼ってある、撮影の時に撮った写真を眺める。

ぼんやりと、初めて兄貴が翠を俺に紹介した日の事を思い出した。

忘れもしない、6ヶ月前。
丁度その時、家のコンピューターで写真の修整作業をしていた。
ノックもしないで兄貴と、兄貴に連れられた佐々木翠は俺の家に押し入り、フローリングの床を靴の踵を鳴らしながら大股で闊歩する。
足音で、兄貴だとすぐ分かった。

「紅、一昨日お前に伝えておいた、例のトレーナーだ」
兄貴はコンピュータースクリーンに釘付けの俺に声をかける。
「ああ......えっと、この人?」
俺はやっと返事を返して、ゆっくり顔を上げた。
兄貴の隣に立っている、背の高いオトコオンナをチラリと見る。
女は何故か苦笑していた。
「佐々木翠、お前の専属トレーナーだ。うちの来期の夏物のキャンペーンのモデルもやってもらっている。前回の撮影の時会わなかったか?」
「前回の撮影は、俺じゃなくて佐藤さん......だけど」
兄貴がそう紹介するなり、俺の笑顔は固まった。
よく見ると、明らかに俺より年下じゃないか。
しかも、トレーナーとしての経験ちゃんとあるの?

だいたい、俺のトレーニングも一昨日突然兄貴から電話が来て、
「お前にトレーナーを見つけてやったから、リハビリも兼ねて運動しろ」
とか別に運動したくも無いのに命令されて、大迷惑だった。

「佐々木です」
アバクロの男物のシャツとカーゴをお洒落に着こなしている仏頂面の女は、俺を見て一応一礼する。
「門田......紅です」
俺も一応の挨拶で軽く会釈を返すと、女の横の兄貴に文句と非難の視線を送る。
「悪いが、ちょっと席を外してもらおう」
俺の視線を受け止めると、兄貴は笑いをかみ殺した声で女に指示を出した。
女は肩を竦めて言われた通りこのリビングから出て行った。


「何だあのオトコオンナは?俺よりも若いでしょう?そんな経験も無いようなトレーナー誰が選んだんだよ!」
「俺だ」
兄貴はとても冷静な声で返す。
「お前は前に運動して筋肉をつけたい、と言っていただろう」
「確かに運動しようかなとか言ったかも知れないけど、あんなオナベ見たいな得体の知れない奴、嫌だよ」
「確かに見てくれは思わしくないが、競泳で日本記録を持つかなりのスイマーだ。それに、頭の中は見た目ほどアホでは無いぞ」
「見た目がアホな奴は皆頭の中もアホだよ」
「そういう奴もいるな。まあとりあえず、1ヶ月だけ試しにやってみろ。それで嫌なら他を探してやる」
俺は押し黙った。
「お前が構わなければ、俺は下で車を待たせてあるから行くぞ。7時発の香港行きのフライトに間に合わせたい」
兄貴はそう言いながら、既に背を向けてドアに向かって歩いている。
ガチャリ、とドアを開けると
「あ」
ウンコ座りで耳の後ろに手を置いたままの佐々木翠がドアの前で固まっていた。
背の高い兄貴は硬直したままの女を冷たく見下ろす。
「と、いう事だ。聞いただろ。1ヶ月試しにやってみろ。報告は......金曜の夜だ」
そういい残すと、兄貴は大股で闊歩し俺の部屋から出て行った。


 俺は目の前のオトコオンナを嫌味なほどじーっくりと観察した。
背は175以上。肩の骨が張っていて、俺よりも短いショートヘアで、筋肉質で、悔しいけど見た目は俺より男らしい。

俺は改めて顔を作り相手に微笑む。
「佐々木さんは競泳選手なんだそうですね」
「今は休業中」
頭を掻きながら相手はぶっきらぼうに返す。
「へえ。何か理由でも?」
傷があるなら抉ってあげようかな。
「そう。理由があんだよ」
女は部屋を見回すと、ソファーの方へ歩き出す。
「怪我、とか?」
「あんたさ、足、どうしたの?」
俺の質問に答えないまま、松葉杖を指差して尋ねる。
「“あんたも”、怪我?」
へえ。そういう事か。怪我ね。
「ま、別に何でもいいけど。あ、何コレ!ド〇クエの最新版じゃねえか!!」
ソファに座っていた女は、テレビ横のゲームの棚を指差す。
「.........。そうだけど?」
俺は冷たい声で聞き返す。
この女の予想外の言葉に実は少しむっとしていた。
『何でもいいけど』と、俺の足の話題を一蹴した。
別に聞いてもらいたかったわけじゃない。
ただ、この女の性格が垣間見えたような気がした。
つまり、他人には興味を持たない、自己中心的我侭性格って事。
「貸してくれ!」
と女がねだると同時に、俺は冷たく
「イヤダ」
と言ってやった。



それから、週3日。
毎日大学で授業を終えると、佐々木翠はBREEZE社の社員専用ジムにやってくる。
週に2日は水泳で、あとの1日は筋トレ。
トレーニング中の佐々木翠は至って真面目で、思った以上に親切で丁寧に教えてくれる。

驚いていたのは、佐々木翠の方だった。
「お前、もやしっ子だと思ってたけど、割と運動神経良いのな」
もやしっ子なんて失礼な事を平気で言うね、と思いながら、
「上半身は常に動かしてるから」
と俺はは素っ気無く答える。
「問題は、腰から下かあ」
腕を組みながら佐々木翠は「うーん」と考え込んでいる。
俺はそのまま鉄棒にぶら下がって、懸垂を始めた。
「なあ」
懸垂を50回終えて一休みしていると、佐々木翠は顎に手を当てたまま俺に話しかけてくる。
うざい。
「あんたさ、週何回エクササイズ出来んの?」
「知らない。仕事次第」
俺は出来るだけぶっきら棒に答える。
「それに、あんたじゃない。紅」
「ベニ。ああ、名前で呼んでもいーんだ」
驚いた風に目を見開いて俺を見る。
「あんたって言い方は年上に失礼だと思うよ」
嫌味を含んだ声で言い返す。
「でも、おま......紅は俺の事好きに呼んでもいいぜ?別に俺気にしねえし。見た目も頭もアホと思われてるみてーだけど」
言って、はっはっはと笑う。
やっぱり聞いていたんだ。兄貴との会話。
「ブス」
「ブスじゃねえよ。オタク!」
「オタッ......オトコオンナ!」
「ぬらりひょん」
「ぬらりひょん?!カマ野朗!」
「カマじゃなくて、ナベだよそれ言うなら。それに紅だってかなーり男受けしそうな女みてーな面してんぞ」
「なっ」
俺の動揺を悟ってか、佐々木翠はまたしても色気の無い笑い声を立てる。

自分も、兄貴のように運動をして逞しく、男気のある容貌をしていたら、といつも思っていた。
髪も目も茶色い俺とは違い、
髪も瞳も黒く、彫りが深くて、荒削りながらも皆が目を奪われる整った顔と威圧的な魅力を持っている兄貴の、ビジネスマンとしての仮面の下をもう長い間見た事が無い。
8歳で本家に引き取られたあの当時は、学生で陸上選手だった兄貴もよく笑ったり怒ったり感情を表していたのに。


「じゃ、そろそろ行くか」
佐々木翠が俺を現実に引き戻す。
「行くって何処に?」
「紅んちに決まってんだろ」
腰に手を当てて佐々木翠はニイっと笑う。
「何で俺んちなんだよ。君も水泳の練習とかデートとかあるんだろう?帰りなよ」
「嫌だ。ゲームやりてえ。ド〇クエプレイして山田に自慢してやる。紅が嫌がってもついてくからな」
そう言うが早いが、佐々木翠はさっさと出口に向かった。



「君、うちの夏コレのモデルになったんだってね」
俺はパソコンの画面を見つめながら、リビングのTVスクリーンの前でゲームに熱中している佐々木翠に声をかける。
「ああ。あんたの兄の友人が紹介してくれた」
胡坐を掻いて座っている女は振り向きもせず、答える。
「あんたじゃなくて、紅」
「あーはいはい。紅ね。俺の事も翠って呼べよ」
「気が向いたね」
俺もそっけなさを装って冷たく答える。
しばらくテレビゲームに集中していると、女......いや、翠は突然
「くそっ!!」
と叫んで拳を振った。
「紅のせいで全滅しちまったろ!!あ~~~胸くそわりい」
画面をセーブして、こっちを振り返る。
ざまーみろ、だ。
俺はクスリと鼻で笑い、マウスをクリックし続ける。
「お前...じゃなくて、紅は一体何台カメラ持ってんの?」
俺の部屋を歩き回りながら、俺の撮った写真を一つ一つ眺めながら翠は呟く。
俺はそっと彼女の背中を見た。
やっぱり、背が高い。
自分と同じ位か、もしかしたらそれより上か。
スラリとして筋肉が引き締まった体つき。スイマーの典型的体型。
柔らかそうな茶色の髪の毛は......俺の色と似ている。
短めのショートは泳がない限りいつも無造作なスタイリングを欠かさないようだ。
髪型はカッコよく決まってる。
今日は古着のジーンズをさり気なく腰でバギーに穿きこなして、上半身を強調する柔らかなTシャツを着ている。
その布地越しに、女の証が小さめながらも突き出して主張している。

「なあ、聞いてんのか紅?」
ハッとなって、俺は視線を逸らした。
まさか、こんなオトコオンナの胸を凝視していたなんて思われたく無いし。
「6台だよ。あんまり人の物触らないでくれる?」
俺は努めて嫌味な声を出した。




佐々木翠、というこのオトコオンナの存在が大きくなるのは、この数ヵ月後の撮影の事である。
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