あたしは悟ってしまった。
健人を。
異性として、弟以上の存在として、見ている自分に。
もっと健人を欲している自分に……。
今更だよね。
ずーーーーっと普通の姉弟じゃしないような変態ちっくな事二人でやってたのに。
実は、肉体的に、何度も何度も健人を欲してた。
それに歯止めをかけていたのは、「理性」と「常識」という二文字で…。
ほんと、今更だ。
健人の唇は、静かに離れていく。
思わず、離れて行かないで!
と、声を出しそうになる。
だけど。
あたしを見下ろしながら、健人は肩に置いていた手すらも離してしまう。
あたしと目が合うと、すぐに逸らしてしまった。
健人の瞳には、透き通るように透明な潤みを含んでいた。
……泣いてる?
何で?
「健人!」
思わず掴んだ腕を、思いっきり振り払われて……。
“愛理の、裏切り者”
素早くあたしにそうサイン(手話)を送ると、そのまま健人は踵を返して人ごみの中に紛れそうになる。
あたしは咄嗟に、追いかけた。
そんでもって、後ろから飛び掛った。
「っぁっ!」
健人が声にならない声を上げる。
そりゃそーだろ。
あたしが飛び掛るなんて思ってもみなかったろうから。
でも、びくッと動いた体は、そのままの姿勢で止まった。
「逃げんな健人!!ばっかやろう!!」
あたしは健人の背中にしがみつきながら、首に腕まわしながら、喚いた。
ボロボロと涙が零れ落ちる。
ってか、化粧ぐっちょぐちょ。
健人が観念したみたいにあたしの髪を撫でて、ゆっくり首の周りに絡みついた腕を解く。
今回、健人は逃げなかった。
頭の上に置かれた手はそのまま、あたしに向き直る。
“まだ、言いたい事があるの?”
また感情を消した顔で、そう訊ねる。
あたしはボロボロの顔で健人の顔をじっと見返した。
健人の黒い瞳が少し細まる。
「キス逃げなんて、健人の癖して許さないからねっっっ!!!それに、宇田川に何かしたら、あたし健人を一生軽蔑する!!口も利かないし…って最初ッからそれは無いけど、一生しかとし続けるから!姉弟の縁切るからねっっ」
健人がじっと見つめたまま、手を挙げる。
無表情のままで。
“愛理は、あいつの事が好きなの?俺が何しだすか心配な位?”
“好きか嫌いかで言ったら、嫌いじゃないよっ。でも、別に付き合いたいとかそういう好きじゃないっ”
あたしは深く考えず咄嗟にそう返した。
健人が口の端を引き上げてフッと笑う。
“嫌いじゃないからって、男となら誰とも寝れるんだ、愛理は?”
「男と寝るって……あたしだってそういう事する権利あるんだからねっ。先っちょの1つ2つ入ったからってっ………」
思わず、声に出して答えてしまう。
その言葉と同時に、強く腕を引かれる。
「痛いっ!」
ずんずんと歩を進める健人は、あたしにおかまいなしで。
半ば引きずられるように数歩歩くと、あたしは路地裏に連れ込まれた。
薄汚い居酒屋みたいな建物の壁と健人に挟まれた格好になる。
「痛っいな!乱暴はやめなさいよねっ」
少しだけ大げさに振舞って、目の前の健人を睨むように見上げる。
健人はあたしの顔を、険しい顔で見下ろす。
弟ながら、怖い。
“愛理の権利って何?男とやりたいだけ?欲求不満?じゃあ、俺と最後までしてみる?避妊ちゃんとしてたら、俺とでも大丈夫だよね?”
すんごい速さで手話してくる。
「ば、ばっかじゃないの?なななな何言ってんの?もう、絶対絶対ずえぇぇぇーーーったい健人とはえっちぃ事しないからねっ!!!」
あたしの唇の動きを読んだ健人は、ニヤリと笑う。
“じゃあ、あのタレントの男がどうなってもいいの?”
パンッ!
って、気づいたら健人の頬を打ってた。
ほんと、手が勝手に………。
なんて言い訳今更だよね。
打たれた頬を手の甲で軽く押さえて一つ溜息をつくと、健人は怖い顔のまま手話であたしに話してきた。
“人間て、誰もが光の部分と闇の部分を持ってるよね?俺、根暗だし、人付き合いとか嫌いだし、他の人よりきっと闇の部分をかなり多くを持ってて…多分、愛理の想像以上の闇を抱えてる。たまに考えすぎて、頭がおかしくなりそうなんだ。答えの解らない事考えるのが、腹立たしいし辛い。ただでさえ耳が聞こえないのに、生きてる意味あんのかな、死んだら楽になんじゃないのかなっていつも考えてる”
そこで手話を切って、健人は一息吸った。
ぽつ、ぽつって肌に滴が落ちてきた。
”俺は…純粋で単純で、いつも太陽みたいな愛理とは正反対の人間だよ。健やかな人なんて名前なのに、全然健全じゃない。愛理と会話を通して、愛理の弱みにつけこんだり、性的対象としてみながら愛理の人生をコントロールしようとするような人間だよ?愛理との脳内会話を利用して、愛理の行動全て把握してなくちゃ気がすまない。愛理の考えてる事が解らないと、死ぬほど恐ろしくて怖い。もう頭のオカシイ、サイコな人間の典型だよ。何度も愛理と姉弟じゃなければ良いのに、って願った事か。役所まで行って、謄本も見た。結局そんな馬鹿な望みは砕け散ったけどね。愛理と血は繋がってるし、俺は愛理の弟だけど…”
やばい、健人の顔がまたゆがんで見えてきた。
これって、涙?
雨?
あたしは腕で目を擦る。
黒茶色の絵具みたいな色が腕に付く。
…化粧だ。
“俺にとっての性的対象は、ずっと愛理だから。俺……”
健人はしきりに手を動かして、続けようとする。
駄目。
健人。
それ以上続けちゃ、駄目だよ。
頭を振りながら、あたしは健人の言葉を遮ろうと、耳を塞ぐ。
耳を塞いだって、意味が無いのに。
ああっ、あたし混乱してる。
解ってた。
知っていた。
だけど、健人の口からその言葉を聞きたくない。
聞くっていう事は……自分の気持ちを肯定してしまいそうだから。
もっと健人を欲してしまうだろう自分に。
なのに、健人は…健人の手は残酷にもその先へと続く。
涙で歪みながらも健人の手に貼り付いてしまった、視線。
”愛理が好きだ。ずっとずっと、生まれて初めて愛理の声が俺に届いた時から、ずっとずっと、好きだった。姉としてみた事なんて、一度も無い。愛理以外の女、愛せない”
相変わらず怖い顔だけど、健人の真剣な双眸から目が離せない。
“だから、愛理があいつとどうこうしたいって言うのなら、俺邪魔するから。愛理の声がまた聞こえるようになるまで、俺は諦めないから”
そういい終えると、さっと踵を返す。
さっきとは違って。
あたしは、雨に濡れたまま。
凍りついたように、その場から離れられなかった。
去っていく健人の後姿すら見れずに、ぽつぽつと洋服に広がっていく濡れた雨の染みを眺めていた。
家に帰る気には全然なれなくって、あたしはそのまま目に入った近場の漫画喫茶に入った。
もう、こーゆー時は漫画でも読んで現実忘れるしか無いっしょ??
あたしは小さなソファーが置かれている畳一畳にも満たない小さな空間に収まると、ふうーーーーーっ、と大きく溜息をついた。
てか、てか、あんな展開あり??
そりゃあ、いきなり健人と脳内会話出来なくなっちゃったのにも驚いたけど……きっきっきっキッスまでしちゃったし…。
てか、外国では挨拶代わりらしいけど、家族間でもするらしいけど。
でも、でもっ。
そっと、唇に触れてみる。
やば。
唇に残る、健人の感触を思い出す。
ドキドキしてきた。
予想以上に、温かくて、滑らかで、やさしくて……。
ちょっと待って!
キスごときで何あたし切なくなってんの??
キャラじゃないよね?
「っつーか、舌の1本や2本の侵入なんて大した問題じゃないよね。しかも弟とさっ。あはははははっ」
と、笑ってみる。
シーーーーーーーーーーーーーーーーん。
空振り。
でも……。
体に火がついたみたいに、熱い。
気付くと脳裏に浮かぶ、さっきの健人の表情。
しかも、弟に。
実の弟に、告られた。
「付き合ってください」「好き」を通り越して、「愛理以外の女愛せない」とまで言われた。
24年間の人生でずーっと待ち望んでいた言葉を、弟に言われてしまった。
その上、自分も健人とのキスに反応してしまってる。
いや、多分、それ以上。
異性として、意識してしている。
弟じゃなくて男としての、健人を欲してる。
「はあっ……」
また、溜息。
何考えてるんだろ、あたし?
宇田川とは、全然あんなに切ない気分にならなかったのに。
むしろ、処女喪失って事実にスッキリしたというか、モヤモヤが取れたというか。
あ、そういえば。
鞄の中から携帯を取り出す。
また、入ってる。
宇田川からのメール。
>おうおうおうおうっ。しかとぶっこき続けるなんていい度胸じゃあございませんか?宇田川さんも、人気が落ちたんですかねえ?
今、バラエティーの収録中。あんた見たことある?水曜夜8時にやってるから、観とけよ~~ん。
じーーーーっと暫くその文字を見つめてから、パタンと携帯を閉じる。
そして、また開いて携帯の液晶画面を見つめる。
宇田川は、ホントにいい奴だ。
あれから……何度もあたしにメールをくれてる。
多分、気遣って。
宇田川の事考えてると、健人との変な空気とか気まずさとかを忘れられる。
>バラエティー番組なら、知ってるよ。あんたらメンバーが色んな事挑戦してるやつだよね。興味無かりけり。完了形。
あたしはそう打ち込んで、送信ボタンを送る。
返事は、即行来た。
正直、驚いた。
>生きてるならもっと俺様にメールしろ。心配させんなバーカ
そして、そのまた1分後に2通目が来る。
>電話していいか?
ほら、また気遣ってる。
あたしが「うん」と言うまで、多分こいつはあたしに電話してこない。
あたしは、宇田川に甘えてしまっていいのだろうか?
健人に抱いてる変な感情を、打ち消してくれるかな?
……なんて卑怯な事を考えてる。
いや、でも……。
このままだと、健人は宇田川に何をしでかすか、解らない。
多分。宇田川の為にも、あたし自身の為にも、これ以上関わらない方がいいと思う。
>あたしも話したい事あったから、電話かけて。変な噂とかに、気をつけてね。
あたしはそう、メールを打って返した。
噂なんて、気をつけるも何も無いけどさ。
>噂?わけわかんね。お前まさか俺のアレについて週刊誌に売り込んだりしねえよな?とりあえず、収録終わったら電話する
宇田川のメールを確認してから、電話を閉じる。
結局漫画を読む気にもなれず、飲み放題のカルピスを飲み干して、あたしは漫画喫茶を早々と出た。
電話は、帰宅途中の駅の改札口を丁度出た所でかかってきた。
夕立ちのような雨が止んで、空には星が輝いている。
「よう。ちゃーんと生きてるじゃねーかっ。なのにしかメールってどういうこってすかね?しかも、『思い出をありがとう』とかいつぞやの青春ドラマですか、お姉さん?」
「もしもし」って出た後、宇田川の開口一番がコレだった。
「そっちこそ、元気そうじゃん」
ってか、普通そうで良かった。
でもそれが逆に、言いづらい。
「ああ、ひっさびっさのアレでエネルギーチャージした」
「アレって、あれ?トンネル工事?」
「自分で言うかフツー?そ。トンネル抜けたら、そこは雪国……ってちげーよっ!」
「自分で突っ込んでるよ。あんたアイドルだよね?お笑いの人じゃないよね?」
「ちゃいまんねんっ。って言わせんな!っつか、お前からだ大丈夫?」
「ああ、あたし頑丈で健康なのがとりえだから」
「次、いつ会えんの?」
で、出たぁぁぁぁ~~~~!!
単刀直入すぎるよ。
「次……はもう無いんじゃないかと……」
「はあぁぁぁぁぁーーーー?!!あんた、やり逃げ?この俺様をやって捨てるって魂胆ですか?」
「やり逃げ?!って立場違うだろっ!!」
思わず、突っ込む。
どこまで本気なんだかわかんない。
「別に、セックスしてーとか言ってねえよ。あんたと会って、ふつーにビデオとか映画とか観たいとか言ってんの」
あ。
ちょこっと、声が本気…てか真剣っぽかった。
でも……。
「あたし、あんたと関わって、ファンや事務所から嫌がらせ受けたり、一家離散とかブラジル移住とかイヤだからね」
「あー、あんなの嘘に決まってんだろ?ってか、バレなきゃいいし」
いや。
バレるも何も、健人が絡むと……大変な事になる予感が……。
「とにかく、仕事忙しいし、アパート探しも大変だし、今……ちょっと家庭の問題もあって宇田川と遊んでる時間無い。貧乏ヒマなしってやつ」
まあ、家庭の問題っていうより、弟が問題なんだけど。
「家庭の問題って、弟?」
「ぅえ?!お、弟?!ななななにがっ」
こ、こいつ、鋭い!
「お前思いっきり動揺してんだけど……んで、弟が何?」
「何って、何って、べべべべ別に!!!」
ああああああ~~~~~~~~~!!!!!
演技力のない自分を呪う。
「あの弟、そういや前会った時俺に思いっきりガン飛ばしてたよーな。っつか…お前可愛い弟持ってるからって、過保護も程々にしろよ」
「別に、過保護じゃないよっ。ただ、うちの弟、ちょっと度を超す姉思いなだけで、それもいわゆる家庭の事情っていうか……」
度を超す…じゃないよねぇ。
この間、告られたし。
だから家庭事情っていうより、姉弟事情っていうか……。
やや間を置いて、宇田川が不納得そうな声を出す。
「俺、見かけによらず、すんげー独占欲つえーし、負けず嫌いなんすけど。知ってた?」
「知らないよっ。とにかく、宇田川とは、もう遊べない。会わない方がいいと思う」
あたしは、勇気を振り絞ってその言葉を紡ぎ出す。
暫くしーんとした沈黙が続くと、
「ふーん。そっか。そんなら、しゃーないわな」
と、明らかに落胆声で宇田川が返してきた。
なんか、調子狂うわ…。
でも、身のためだし。
「じゃあ、ホント、色々と有難う。宇田川も元気でね」
「おう、お前もな」
とあっさりと電話を切った翌日。
そう、翌日。
もう一生関わらないと決めた宇田川と、また仕事で関わる事になってしまった。
「おっは♥」
オフィス入ったらいきなし、宇多川が居た。
「うわああ!!」
ビックリして、思わず大声を出してしまった。
「はあああああああ?????なんであんたここ居んの?もう水着のキャンペーン終わったんでしょ?」
企画部のオフィスの入り口横の小会議用長テーブルで踏ん反り返ってる、帽子と眼鏡の男は、紛れもなく宇田川だ。
「人気者の宇田川様に、また仕事のオファーが来ましたとさっ。うぃんたーの到来。冬のスノボーグッズのイメージキャラクターに選ばれた。ってか、夏の水着がすんげー好評だったから、正式にあんたの会社のイメージキャラクターになったらしいぜ、俺」
え、そうなの?
いつから?
翠さんは?
「そーんな脳内〇プリの問題解いてるみてーな顔してんなよ。IQは60ぐれーだな。あんたんとこの企画班Bの連中と、会議があんの。俺」
「IQ60って失礼ねっ。でも、え、あんたのマネージャーは?」
「俺がここに早く着き過ぎたみてー。今こっちに向かってる」
あたしは腕時計を見る。
8時45分。
「あ、会議は9時から。ってか、11時ぐれーには終わるみてーだし、俺夕方まで仕事ねえし、昼飯一緒に食わねー?」
「あのー、大変言いにくいんですけど、あたしあんたと会わな……」
ガンッ!
「うわぁっ!」
って、突然凄い音。
「わりー、蚊が止まってた」
宇田川が拳を押さえながら涼しい顔で、真っ二つに割れた長テーブル見つめてる。
お、おそろし~~~~よぅ~~~~~~~~。
「って、え?何?聞こえなかった」
って宇田川が返すのと、突然の破壊音に「どうした!」と長テーブルの場所に企画部の社員が集まる。
「ちょっと、宇田川さん!大丈夫ですか?お怪我はないですか!!」
「あー、すいません。ここに最初から小さなヒビみたいの入ってましたよね?いじってたら割れちゃって……」
心底すまなそうな顔で、頭の後ろに手を置いて、宇田川が謝ってる。
演技派と呼ばれてるだけあるわ。
露程も悪いと思ってない癖に、もろ、演技。
その前に、割れ方おかしいだろ?
やけに空手ちっくな割り方だったろ?
「いやいや、宇田川君に何かあったら、大変だよ。君の事務所に我が社が訴えられる事があったりでもしたらわしの首が(ボソッ)…いや、怪我が無くて良かった。はっはっは」
部長がバーコードの額にハンカチ当ててる。
ってか、冷や汗かいてた?
「じゃあ、朝倉さん。手話は昼休みに教えて頂けますか?」
あたしがこの騒動に紛れてそそくさと去ろうとすると、宇田川があたしの腕を引いて引き止める。
「え、宇田川君が手話?朝倉さん手話なんて出来るの?知らなかった~~」
企画部のお局の栗本さんが、てきぱきとこぼれたお茶とか木の破片とかを拾い上げながら宇田川に聞き返す。
「役作りで、まあ……あ、手伝いますっ」
宇田川が、さわやかアイドル気取ってそそくさと雑巾で拭い始める。
「君はうちの会社のイメージキャラクターだからねぇ。ああ、掃除は結構ですよ。そのかわり、うちの娘にサインを一枚…(ボソッ)いやいや、朝倉さん、ちゃんとおしえてあげなさい」
ぶ、部長までっ!
あたしは一礼して、自分のデスクに向かう。
目の端で、宇田川があたしにウインク送ってきたのも、ばっちし見えた。
「朝倉さん、不純異性交遊は会社の外でね」
久々に朝早くから出社してる門田さんは、一連の騒動を見てたらしく小さく一言あたしに漏らす。
ああもう。
あたしの運命の嵐は、これから起きるのだった。