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仁神堂と社長    07.11.2007

“仁神堂と社長”


 


 いつも通り朝早い出社後の慌しいスケジュールをこなした私は、何気なく私用のEメールをチェックしていた。
私が唯一私事に費やす事の出来る、短い朝食の時間。
朝、食欲が出ない私はフルーツで軽く済ませている。
コーヒーを片手にすっと新着メールに目を通していると、その中の一件に釘付けになった。


Subject:今NYにいます。


差出人は、岸さんだった。
仁神堂と関係を持ち始めてから、ちゃんと話をつけて別れる事の出来なかった彼。
実際、数ヶ月も連絡をとらず、こんな状態の私達がまだ付き合っているとは向こうも思っていないだろう。
多忙なスケジュールで頭が一杯になってはいても、片隅では分かっていた。
いつかちゃんと彼と話をつけなければならないと。


開いて読もうかどうか、何度か無意味にマウスを動かして迷った末、クリックしてみた。
短いメッセージ。

“仕事で数日間NYに居ます。会って話がしたいので、今夜Bennigan’sで待っています。
貴女が来る事を願って。
岸”



饒舌な岸さんらしからぬ、短い文章だった。それだけに、緊張感が走る。
そっと、ウィンドウを閉じた。
コーヒーを啜って一息つくと、目を瞑った。
Bennigan'sは私達がよく行っていた馴染みのレストランだった。
彼と初めてデートをした日、そこで付き合ってくれと言われた。
何年前の出来事だろうか?


でも、もう、私の心は決まっていた。
今夜の予定をキャンセルしてでも、彼と話が出来るのは今夜が最後だと思ったからだった。


 

マンハッタンのど真ん中にあるこの高級レストランの名前を知らない人は居ない。
ドレスコードが厳しいので、いくらなんでも仕事のスーツ着では行けなかった。
ホストに名を告げると岸さんはもうとっくに到着していたらしく、案内された奥の席に座っていた。


「よかった、英恵さんが来てくれて。」
私の姿を確認すると、岸さんは一瞬目を瞬かせ、大きく息を吸ってから席から立った。
私の為に椅子を引きながら、そう一言呟く。
彼の邪気の無い、精悍な顔立ちを見つめながら、私は自然と強張りそうになる顔を緩めて笑顔を作った。
そして、喉の奥から搾り出してやっと一言告げる事が出来た。
「大事なお話があって来たの。」
私の堅苦しい言葉を聞いて弱々しく微笑んだ後、岸さんも再び口を開いた。
「うん、分かっていたよ。」
と。


 


 


 秘書課の部下から連絡があった。
社長の代理で朝から同じ東海岸のワシントンDC支社へ赴いていた俺は、用も済ませホテルへ向かう途中一本の電話を受け取った。
どうやら社長は今夜の会食の予定を、知人とBennigan'sで会う為にキャンセルしたらしい。
彼女のスケジュールを調整し、会食を他の日に埋め合わせておくよう指示した後、電話を切った。


眼鏡の縁を押さえて暫し考える。


彼女の生活は手に取るように分かっているつもりだった。
社長はプライベートな事は滅多な事が無い限り優先しない。
それ程の仕事人間だ。
その彼女が、夜時間を空ける理由は?
そういえば、岸氏率いるKISHIグループが経営困難に陥っていたNYの大手日本食レストランを買収したと、今朝読んだ新聞の経済欄の見出しに載っていたのを思い出した。


フウッと小さく一つ溜息をついた。


可能性は、大いにある。
そうであっては欲しくないと願う自分と、それは仕方の無いことだと思う自分がいた。
時計を見る。
午後の6時。
社長に電話を入れてみたが、電源を切っているのか留守電にかわった。
何度かけ直しても出ないので、諦めて電話をしまう。


フリーウェイを走っている車の窓の外に何気なく目をやると、滞在先のホテルが遠目ながら見えてきた。
「今夜はあそこで宿泊か。」
ボンヤリとそのまま空を眺めると。
陽が傾きかけた空に聳え立つホテルの上を飛行機が飛び、白い建物に影を落としていた。



それを目にした途端、何かが俺の中で弾けた。




もしかしたら、今からでもNY行きのフライトに空きがあるかもしれない。
出来る限り早くNYに帰らなければ。


気付くと俺は、再び携帯を取り出して各航空会社の番号を呼び出していた。
そして、運転手に指示を出した。
「空港へ向かっていただきたいのですが。」


 


 




 ブロードウェイ沿いのコンドの前でリムジンを停め降りようとすると、コンコンと窓を叩かれた。
「仁神堂…」
今日は朝から出払っているはずの仁神堂が、リムジンの窓を覗き込んでいる。
ドライバーは仁神堂を知っているので、即座にドアを開けてくれた。
「どうして―――」
ここにいるの、と聞き終える前に、引っ張りあげられて強く抱きすくめられる。
もしかして―――?
「会社で何かあったのかしら?緊急?」
「いいえ。」
力一杯私を抱き寄せながら、仁神堂は否定した。
ああ、そうだわ。
考えてみれば当然だ。
今夜の予定をキャンセルするには、秘書に言う必要がある。
たとえ伝えた秘書が仁神堂でなくても、私のスケジュールの全責任は彼にあるのだから、彼の耳に届かない筈は無いのだ。



四季が日本にどことなく似ている東海岸の春は、とても清々しくて気持ちがいい。


爽やかな春風に吹かれて垂らしていた長い髪が、ゆらりと踊った。




「……戻って来られたのですね。良かった。」
全身に仁神堂の体温を感じながら、私は驚きで目をパチクリさせる。
「ずっとここでお待ちしておりました。」
あまりに突然な抱擁に今更ながら我に帰った私は、体を捩って彼の体を離そうと試みる。
が、彼の力は逃すまいと強くなるばかりだった。
「もう少し、このままでいて宜しいでしょうか?」
「え?」


ブロードウェイの歩道のど真ん中で。
ニューヨーカーは道端での抱擁には慣れっこらしく、私達の横を素通りしていく。


傍からすれば普通の恋人同士に見えるのだろうか。


私は抵抗するのをやめ、力無くまだスーツ姿の仁神堂の逞しい胸に体を預けた。
「もし今夜戻って来てくださらなかったらどうしようかと…。」


静かに。
感情を押し殺した低い声で呟く。


彼は知っていた。
私が岸さんと今夜最後に会った事を。
それを知っていて、私を待っていた。


「どうしてここにいるの?私が明日仕事を休むとでも思っていたのかしら?貴方に迷惑をかけたりはしないわ。」
冗談めかして彼に聞く。
この男は。
鉄仮面なのに似合わないことをやってくれるじゃない、と心の中で呟いた。


あのクリスマスの夜もそうだった。
寒い中、息を切らせて私の所へ来てくれた。
気付けば、傍にいて欲しい時、頼りたい時、すぐそこに居てくれた。
私の鼓動と同じくらいの速さで走る、仁神堂の鼓動。
いつものコロンの匂い。


「お帰りが遅いので心配しました。もし、社長が岸様とよりを戻すような事があれば、今までの私の苦労が無になってしまいます。そしたら私はもう、自分の感情を抑える自信がありませんからね。」
あくまでも静かに、けれど熱っぽく仁神堂は語る。


この男も…苦労なんてしていたの?


意外な言葉に戸惑いながらも。
「岸さんとはちゃんと別れたわ。もう、会うことも無いと思うの。」
私は俯いたまま、言葉を選ぶようにゆっくりとそう告げた。
彼の顔を見て話す事が、何故か出来ない。
きっと今顔を上げたら、私はリンゴの様に真っ赤になっている事だろう。


「社長は、それで宜しいのですか?」
感情の抑制された声。


私は仁神堂でいいのだろうか?


「社長はやめてほしいわ。名前で呼んで。」
質問をはぐらかすように、ついまた余計な事を言ってしまう。
両腕を広い彼の背中に廻すと、フッと頭上で忍び笑いが聞こえた。
「社長も、私を名前で呼んでくださるのなら。」
「いいわよ。二人で居る時は対等でいたいから、もう敬語を使わないで頂戴。」
私もつられて笑いながら答えた。
彼の広い胸に頬を寄せる。




お爺様は全て知っていらっしゃった。


私達がこうなる事も承知で、彼を私に遣したのだから。


これからの長い将来、私にはずっと仁神堂が必要なのだから。




「私は…浬がいい。」
「愛してる。貴女がいれば、何も要らない。」
 



オレハ、英恵ノソバニ居テイイノカ?




器用な男の不器用な質問に、私はイエスと答えた。


 



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