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仁神堂の告白    07.11.2007

“仁神堂の告白”


 



 「英恵さん、急に呼び出したのに来てくれて良かった。ちょっと聞きたいことがあったから。」
日本で倒れるのではないかと思われた過密スケジュールを無事終えてアメリカに到着した今日、私は日本からの帰国がてらLAに寄った。
許された時間はたったの二時間。
その後はすぐにN.Y.に移動しなければならない。
LAXから直行し、サンタモニカにある岸さんのレストランで久々に彼と会い、食事をした。


和風テイストの青で統一されたシンプルなデザインのレストラン内の寿司バーで二人並んで、お寿司を食べる。


午後四時三十分。


「とりあえず、頼んで。好きなもん好きなだけさ。」
ほぼ一ヶ月ぶりの岸さん。
相変わらず日焼けして、サッパリ爽やかな雰囲気で男らしい。
全米を駆け回る実業家。
そして、一応私の恋人。


今日の彼はカリフォルニアの住人らしく、ラフなT-シャツとハーフパンツにサンダルといういでたちだった。
実業家なのに、スポーツが趣味の体躯の良い彼はこうやって目の前にいるとやはり物凄い存在感がある。
なのに、すっかりその存在を忘れていた。
いや、あの仁神堂との一件があって以来、どうしたらいいのか解らなくて、必然的に避けていた。


岸さんは日本酒を片手にこちらを振り向く。
「君はさぁ、俺に会えない時とか電話で話せない時とか心配にならない?」
やはり、私が避けているのが分かったのだろうか。
努めて笑顔で彼に振り向く。
「……。そんな、ティーンネイジャーのような関係じゃないはずよね?」
「最近…得にクリスマス休暇以降、俺ばっかり君に連絡してるし、電話してもそっけないし、なんか…俺の事避けてる?」
切れ長の目の中の熱い瞳が真摯に訴えてくる。


私の良心が痛んだ。


この人は、嫌いではない。
でも正直、もう前のように熱い何かは無かった。
前のように、寂しさを紛らわす為に彼を求めなくなった。
それに、この間は、結果的に彼を裏切ってしまったのだから…。



岸さんは寂しそうにフッと微笑んだ。
「君はビジネスしてる時は鉄火面なのに、こういうプライベートの事になるとすぐ顔に出る。」
そんな驚いた顔をしていたのかしら?
「ごめんなさい。」
「いや、謝らないでよ。でも、俺、何かした?」
「岸さんじゃないわ。私に問題があるの。…色々と。」
言いながら深いため息が出た。


「あのさあ、俺じゃ助ける事出来ないのかなぁ?一応俺たち付き合っている訳だし、君がいつも一人で頑張ってるのは知ってるけど、俺は君に苦しんでもらいたくない。俺ってそーんな頼りないのか?」
サーフィン焼けした浅黒い顔が心配そうに伺っている。
「俺は、なんというか…君といると安心するんだよね。手放したくなくなるんだ。」


安心…。
そうか、彼は私といると安心しているのね。
私は…彼に安らぎを求めることが出来ない。
逆に…彼といると緊張してしまう。
こんないい人に、嘘はつきたくない。


それは、私の我侭なのだろうか?
時機を見て、彼に全てを話そう。
そしてその上で別れる事になるのならば、しょうがない。


「岸さん。都合がいいとは分かっているわ。でも、もう少ししたら全てを話すから、その時まで待っててくれないかしら?…自分の中で整理がついたら、きっと話すわ。」
岸さんはむっつりとした顔で
「分かった。君を悩ませているものが仕事に関係してると祈るよ。」
とだけ言った。


 


レストランの駐車場にとめられたリモの中で、仁神堂は私を待っていた。
私が岸さんに見送られながらレストランを出ると、彼も携帯を片手にリモの中から出てきた。
隣に佇んでいる岸さんが、少し怪訝そうな顔をする。
「あれが噂の仁神堂とかいう秘書?…何度か電話で話したけど俺が想像してたより若いね。」
「そうかしら?」
と返事をした刹那、強引に引き寄せられた。
「岸さ…んんっ…。」


一瞬だけだったけど、唇が重なった。
明らかに、見せつけ。


「こんな所でしなくてもいいじゃないの!!」
岸さんは至近距離で私を覗き込みながら、笑い声を上げる。
「ははは。威嚇、威嚇。英恵さん、俺、待ってるから。君が忙しいのは充分承知だけど、君の力になりたいし、俺は何があっても君を諦めないからね。」
手を振る岸さんに背を向け俯きながら私はリモに向かってパーキングロットを歩き出した。
顔が火照っているのは自分でも分かっている。
まだ痛めた足を庇うようなびっこだったが、ひたすらリモまで歩いた。


きっと仁神堂に見られただろう。
電話を終えたらしい彼は何も言わず黙ってリモのドアを開けた。
私は車に乗り込んだ。




 フリーウェイを走っているLAXまでの道のりは、重苦しい沈黙に包まれていた。
この所私はずっと仁神堂を避けていたから、下手に話さなくて済むのを喜ばなくてはならないのに、彼の様子が気になって報告書を読む振りをしながら上目遣いで向かいに座っている彼を見てしまう。
仁神堂は無言で新聞を読んでいた。
メガネが邪魔して表情は読み取れない。


「何か私にご報告がおありなのでしょうか、社長。」
ふと私の視線に気づいた仁神堂は、新聞を置いて顔を上げた。
「ええ、あれが岸さん。」
彼は頷く。
「…存じ上げております。彼は…こちらの日系社会では有名な方ですので。」
「そうなの。知らなかったわ。」
それは、初耳だった。
仁神堂が既に彼を知っていたなんて。
「電話で応対も何度か致しましたし。…社長。」
彼はメガネの縁を押さえながら低く私を呼んだ。
私は返事をせずに顔を上げる。
「もう、私を避ける必要はないのですか?」
「え。」
「私はあれからずっと社長と腹を割ってお話したいと思っておりました。」
私は報告書に再び目を落とし、低い声で答えた。
「別に、私が話すことはないわ。」
「それならば、聞いてくださるだけで結構です。」
私が無言でいると、仁神堂は続けた。
「社長がここ一週間以上、私との会話を避けていらっしゃるのは知っております。そしてその原因も。私は…貴女を騙そうと思っていたわけではない、という事実を理解していただきたい。」
仁神堂は珍しく早口で、熱く語った。


彼の言うとおり、私はずっと意識して彼を避けてきた。
それは、怒りとも、嫉妬とも、悲しみとも言えない複雑な想いが私を飲み込んでいたから。


仁神堂はゆっくりと言った。
「あの夜は、少なくとも私の方は本気でしたよ。」
その言葉に私は動揺する。
心臓が跳ね上がった。
体をぎこちなく動かした弾みで、膝の上の書類が一枚足元にヒラリと落っこちた。
屈んで拾おうとしたら、向かいに座っていた仁神堂に先を越されてしまった。
慌てて引っ込めようとした手を、強く摑まれる。
「社長。」
「仁神堂、離して。」
「いえ…。」
息が吹きかかるほど至近距離で、彼のメガネとその奥の薄い瞳の中に私が映っている。
「離しなさい。」
「まだです。」
「仁神堂!!」
言葉は彼によって阻まれた。


甘くて上品なコロンの匂い漂う逞しい胸に抱き寄せられて、唇を熱く塞がれた。


あの夜以来、何度も想い出したこの香り。
温もり。


口腔内をくすぐる彼の舌に私も思わず答えてしまう。
この男は、キスが巧い。
この男にキスされる度に、拒絶という単語は頭から吹っ飛んでしまう。
いや、頭が真っ白になる、というべきかしら…。


「社長は後悔をしておられますか?」
やがて唇を離した仁神堂は私を抱いたままの体勢で訪ねる。
真っ赤な顔の私は俯きながら聞き返す。
「何を…後悔しているというのかしら?……経営権と株のお話なら…お爺様のご判断だもの。私が何を言っても無駄な事だわ……。」
それは、私の理性が私に教えてくれた。
「私と関係を持った事を、後悔しておられますか?」
低くて心地よい声が、私の耳元で囁く。
仁神堂の鼓動が聞こえた。
私以上に彼の胸は早鐘を打っている。
「ぶ、部下と上司だもの。当たり前じゃない!」
「……そうですか。」
さっと、彼が身を離した。


茶色い瞳が私を見下ろす。
「後悔しておられるなら、これから社長はどうなさりたいのでしょうか?」
その冷たい言い方に私はカッとなった。
「どうもこうも、あれは一夜の気の迷いで――」
「何も無かった振りをしろ、というのですか?」
言い返そうとした私の言葉を、仁神堂は遮る。
「……そうよ、忘れて頂戴。私も忘れるように努力するわ。」
仁神堂を見上げると、彼は初めて私から視線を逸らした。


気のせいか、ふっと寂しそうな表情だったような…?


いいえ。
気のせいだわ。
私は自分を強引に納得させた。
彼はそのまま横を向く。
「…この話題は、当分避けた方が無難でしょう。それよりそろそろ空港に到着致します。社長は化粧をお直しされた方がよろしいかと。」
仁神堂はそのまま新聞をたたんでブリーフケースにしまっている。


私は茫然とそれを見つめていた。
手を伸ばさずとも彼の体温をヒシヒシと感じる距離なのに、彼は私との間に見えない壁を作ろうとしていた。


そうだわ。
これが私の望んでいたこと。
今までのことは無かった事として目を瞑ればいい。




なのに、気づいてしまった。




彼の二の腕を掴む。
「仁神堂。あなたは何を私に望んでいるの?言ってくれないと分からないわ。」
ブリーフケースを閉め終えた仁神堂は静かに顔を上げて私を見返した。
「私は…お爺様が仰るこの会社の未来の事は、お爺様にお任せするわ。でも…。」
真っ直ぐに私にふりかかる彼の視線を、目を逸らさずに受け止める。
「でも、私には貴方の助けが必要。」


仁神堂は口角を引き上げてふっと小さく微笑んだ。
ゆっくりと、言葉を選びながら彼は語りだした。
「私は、貴女が思っているような感情欠落人間ではありません。ただの男です。部下として社長をお慕いしていると同様、初めてお会いした日から一人の男として貴女を意識しておりました。会長のご決断において社長がご納得できないのであれば、謹んで辞退しようと思っております。……今の私の望みは……。」


そこで彼は、一呼吸ついた。
私は熱い眼差しを受けて動悸が激しくなるのを感じながら、次の言葉を待った。


「…秘書としてではなく、私を一人の異性として社長に見ていただくことです。」


無表情は、感情を隠すための仮面。


私は…本物の彼をもっと知りたいと思った。


真剣で、少し強張っている仁神堂を見つめながら私は一言溢した。
「もう、とっくに見ているわ。」
「それは…存じ上げませんでした。」
久しぶりに仁神堂は私に笑顔を見せる。
「LAXに到着したようです。…社長、足元に気をつけて。」
仁神堂に強く手を引かれながら私はリモを降りた。


 これから、仁神堂との関係はどうなっていくのだろうか?
この男を失いたくないという想いに気づいてしまった私がいた。




 

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