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事実 2    07.11.2007
“事実”


 彼女がオフィスに入ってきただけで、その場が華やかになった。
上品に着こなしたスーツも、スラリとした高めの背丈も、整った目鼻立ちも、歩くたびにサラサラと揺れる長い濃茶の髪の毛も、一見虚勢を張った動物のように人を容易に寄せ付けないその冷たそうな容貌も、自分を捉えて放さなかった。
いや、自分だけ でなくその場に居た全ての人間の双眸が彼女を追ったに違いない。
「わしの孫じゃよ。英恵というんじゃ。」

じっと自分の瞳が彼女を追っているのに気づいたのか、傍らの会長はにこやかに呟いた。
「そうですか。お綺麗な方ですね。」

お世辞でもなく素直に口からこぼれ出ただけなのだが、会長は深く頷きながら

「かなり負けん気の強い頑張り屋じゃよ。じゃじゃ馬じゃ。まだ学生じゃが、会社に入ればかなりの切れ者になるじゃろうな。」
と告げた。

そのまま彼女は薄化粧の上に鮮やかな花のような笑みを称えながら、オフィスを横切って自分らのいる奥のデスクへやって来た。
「お爺様、仰っていらっしゃった書類を取りに来ましたわ。」
会長からファイルを受け取りながら、ふと傍らの俺に気がつく。
「こちらは、秘書課の仁神堂君じゃよ。」
「初めまして。」

俺は彼女に片手を差し出した。
こういう社交辞令はよくあるのか、手馴れた感じで俺の手を取り握手しながら
「初めまして、祖父がいつもお世話になっております。孫の國本英恵です。」
と自然な笑顔を浮かべて会釈をしてきた。
成る程、社交術には長けているようだ。
「お忙しいところお邪魔してごめんなさい。とりあえずこの書類を家に持って帰って卒論を書かなければならないので…多分徹夜だわ。だから早々とお暇致しますわね、お爺様。」
そしてちらり、と俺を顧みて
「お会いできて光栄です。」
との決まり文句を言ってから長いロングヘアをフワリと揺らして踵を返した。


國本英恵。

その日以来何故だか彼女の名前が、その人を引き付けるスラリとした容貌が、身のこなしが、俺の頭から離れなかった。


彼女は覚えていないらしいが、これが俺と社長との始めての出会いだった。



 

 
 午後八時。横浜駅西口にある『チャーリー』という名のバー。
駅を出てすぐ傍のビルの地下にあって、昔から隠れたスポットして利用してきた。

何年ぶりかの日本出張早々。
両親の墓参りを済ました後、自宅でゆっくりする間もなく俺は呼び出された。

薄暗いバーをコツコツとハイヒールの音を立てながら、肩で風を切って闊歩する女。

足音だけで誰だか分かった。
案の定バーで一人ウイスキーの水割りを飲んでいる俺の隣で足音は消え、椅子を引きながら無言で隣に座った。
「一年ぶりの帰国じゃない、浬(かいり)。」
手馴れた感じでバッグからタバコを取り出し、一本火を付ける。
「そうか?」
俺は真っ直ぐバーカウンターで働くバーテンダーを見ながら答えた。

本当は、敬語は苦手な方である。
もともと英語が母国語だし、会社と社長達の前ではかろうじて使用しているが、それ以外ではあまり使わない。
いや、上手く使えない。

「今回は、連絡すらくれなかったのね。いつも冷たいけれど、最近更に冷たいわね。ニューヨークに行ってもなかなか会ってくれないし。」
そう言われて初めて隣の女の顔を顧みた。

寺内祥子。
女優。
色っぽい女や悪女の役をやらせたら右に出るものはいない、影をもった感じの官能的で鋭い美貌の女。
KUNIMOTO 入社当時、政界やら芸能人やらが集まるとある大きなパーティーで知り合い、関係を持った。
それ以来、ずるずると続いている。

彼女には色々と他に男がいるようだし、俺の中ではきっぱりと体だけの関係なので、何故彼女がそこまで自分に執着するのか解らない。

「で、何の用だ?」

彼女の自棄気味な言葉を無視して、俺は単刀直入に尋ねた。
時差ぼけなのか、体がだるい。

「あら、ただ会いたいって理由だけじゃ会ってくれないのかしら?だって一年ぶりじゃない?」
言いながら毛皮のコートを脱いで椅子にかける。
豊満な肉体に、これでもかという程強い香水の匂いが辺りに漂った。

彼女の好きなディオールのデューンだ。
「…そんなに経ったのか。早いな。」

細い指でタバコを挟み煙を燻らせながら、茶目っ気のある笑顔をこちらに向ける。
「あなたのとこの社長さん、聡明な若い美人だそうじゃない?この間雑誌で読んだわよ。オイシイ仕事じゃない、そんな美人と四六時中一緒だなんて。私を避けてるのと、美人の社長と案外関係があったりして。」

彼女は俺を試しているのだろうか。
横目でチラリと彼女の顔を伺った。
「関係なんて全然ない。これは仕事だと割り切っている…。」
俺はウィスキーに再び口をつけた。

……。
本当に関係がないと言い切れるのか?


この間、遂に一線を越えてしまった。

彼女にとってそれは一時の気の迷いだったのかもしれないが、自分の中では来るべきときが来たような気がした。

不思議な事に初めて彼女に出会ったあの日から、なんとなくいつかそれは起こるような気がしていた。
付き人のように秘書としていつも行動を共にし、同じ空間にいながら、彼女は自分が放つ色香に気づいていない。

あの、ベッドの上でしなやかに動いた体と普段とは全然違うあどけなさを秘めた表情を思い出すだけで、今でも体が火照るのだ。


「ねえ…。」
祥子は体を寄せてきた。
「ちょっと私のマンションへ寄ってかない?年代モノのワインもあるし、話したい事も山ほどあるから…。」
彼女の意図する事は一つである。
俺は持っていたウイスキーのグラスをカウンターに置いた。
「タバコを…一本くれないか?」

いつもなら絶対タバコには手をつけない。
普段は別に吸いたいとも思わない。
社長はタバコの臭いを極度に嫌っていたし、健康には人一倍気をつけているつもりだ。

なのに今、衝動的にあの肺を満たす煙さと脳への刺激が欲しくなった。


祥子から一本タバコを受け取ると、無言でそれに火をつけた。



 
 
 「どういう事か、話して頂戴!!」

東京本社に出社した俺を会議室へ呼び出した社長は、どういうわけか物凄い剣幕で怒っていた。
怒声が会議室中に響き渡る。

「どういう、とは?失礼ですが、私には社長がなにについて怒っていらっしゃるのか皆目見当がつかないのですが…。」
彼女が感情的に怒るのを見たのは、久しぶりであった。
「知ってるくせに…私を利用して、欺いて、楽しかった?」
利用?
欺く?
一体彼女は何の話をしているのだろう?
黙って彼女を見つめていると、大きく息を吸いながら黒目がちの目を細めて自分を睨んできた。

「仁神堂、貴方お爺様の持ち株と経営権譲歩のお話を知っていたんでしょう?」

……成る程。

敬一郎様がとうとう彼女に打ち明けたらしい。
俺は深く頷きながら、
「……ええ。存じておりました。」
と答えた。

「全部知っていて私と寝たのね?何が望みなの?私を巧く丸め込んで株を全部手に入れたかったのかしら?これは何? KUNIMOTO へのささやかな復讐?貴方のお父様が亡くなったのは私の父のせいだから?」
社長はそこでハッとしたように口を噤んだ。
流石に言い過ぎたと思ったらしく、口を手で覆って顔を背けた。

俺は一つ、溜息をついた。

そして、きっぱりと言い切る。
「…父が亡くなったのは、ただの事故です。同時に社長のお父様もお亡くなりになられた。でもそれからずっと、敬一郎様は私と母の面倒をみてくれていました。…復讐心など一度も考えた事はありません。逆に敬一郎様に対して、感謝の気持ちで一杯です。社長が仰っている事は見当違いもいい所ですよ。」

彼女は唇を噛み締めながら俯いている。

相当、ショックだったに違いない。
彼女が利用されていると思うのは、無理もない。
きっと金持ちの令嬢、という肩書きだけで利用された事が過去に何度もあったのだろう。

あの夜は…本当に何も深く考えずに行動しただけだった。
不覚だが、会社の事や、株、経営権、更には秘書という立場すら忘れて、ただの男女として夜を過ごしただけに過ぎない。

だが……。

顔は見えないが、社長の細い肩が小刻みに震えていた。
誤解を解かなければならない。
そう思いながら無言でハンカチを手渡した。
彼女は下を向いたまま、ハンカチを受け取り握り締めている。
「私は……。」
と言いかけた時。
バタン、と会議室のドアが開いた。
「おっと……お取り込み中でしたか?」

洗練された身のこなしに鋭利な笑みを浮かべて部屋に入ってきたのは、これから社長が取引会議をする予定だった筒井グループ社長代理の筒井眞人氏であっ た。
彼は今、日本の経済界を担う若手のホープとして全世界に名を知らしめている凄腕の人物であった。

その彼が予定より少し早く、付き人を伴って部屋に入っ て来た。

「ここに直接来るようにとの事だったので。お邪魔でしたか?」
社長は泣いていた涙をさっと拭いて、顔を上げた。

目元は少し赤かったが、それはいつもの厳しいビジネスをする社長の顔だった。

「筒井様ごめんなさい、目の中にごみが入ってしまって…。どうぞお掛けになって。仁神堂、お茶を入れて頂戴。」

目を合わせようせず、彼女は筒井氏に穏やかな笑みを向けながら言い放った。
「………畏まりました。」
俺は軽く一礼してから会議室を出た。



彼女はきっと当分の間俺を避けるだろう。

暫くあの情熱的な双眸が見られないだろうと思うと、自分の中でたとえようもない苛立ちが募った。




注:(文字を反転させてください)にがみどう視点です。筒井グループの筒井眞人氏は、旧サイトで大変お世話になっていた『ddb』管理人ゴロさんの小説『秘密の部屋』の主人公です(只今サイトは休止状態)。大好きな作品で、旧サイト運営当時作者の許可をいただき、脇役で登場させちゃいました。読む人を惹き付けてやまないゴロさんの文章、尊敬です!
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