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甘い罠    07.14.2007
甘い罠



 「す、すんません!!」
静寂を破る大声。
小鳥がちゅんちゅんとさえずる日曜日の早朝。
ベッドの上で、タバコをふかしている女。
そして、誰が見ても笑ってしまうであろう、ベッド脇でがたいの良いマッチョマンがトランクス一丁で土下座している滑稽な姿。

「何を謝っているのかしら?」
タバコの火をベッド横の灰皿で揉み消して、女は無表情で冷たく聞き返す。
いや正確に言うと無表情なのでは無く、元々彼女は普段の表情が乏しいだけなのだが。
男は俯きながら頭を掻く。
「いや、その、あの、自分、昨日の夜の事全然覚えていなくって……えーっと、覚えているのは昨日6ヶ月ぶりに酒が解禁になってバーで飲んでて、それで…。」
「覚えてないの?私達あんなに熱い夜を過ごしたのに?」
マッチョマンの言葉を遮る鋭い一言。
腕組みをしながら、女はベッド下の男を見下ろしていた。
俯いていた彼は、うっ、と言葉に詰まらせた模様。
「私を知ってる?」
「……えっと……。」
しどろもどろ。
唸りながらマッチョマンは男っぽく荒っぽい作りの顔を上げて、ぎこちなく筋肉の隆起した首を傾けた。

答えるのに約1分を要した。

「………。モ、モデルさんか何か?」
困った表情を浮かべながら疑問形で答える男を見て、女はプッと噴出した。
「モデルがこんな歳な筈ないじゃない。」
途端に男の顔が真っ赤に蒸気しだす。
「す、す、すんませんっ。自分、ホント酔ってて、何にも思い出せないっす!!」
男は深々と頭をフローリングの床につけて、土下座する。
「もう、いいわ。私もあなたの名前知らないし。」
「はっ?」
間抜けな声で男は返す。
「私もね、ちょっと嫌な事あって自棄酒飲んでて、昨夜マネージャーとバーに飲みに行ったのは覚えてるんだけど、今朝起きてからずーっとどうやって家に帰ってきたのか、何故あなたが私の横で寝てたか考えていたのよね…。」
「そ…そうなんすか…。」
男はまたも筋肉質な腕を上げて頭を掻きながら、力なく返事をした。
「じゃあ、自己紹介するべきよね?…こんな状況で何なんだけど…。私は寺内祥子といいます。」
ベッド横の灰皿でタバコの火を消して、男にキラキラした笑顔を向けた。

30代後半だというのに、手入れの行き届いたその素顔は20代前半と言っても過言ではないほど若くて艶々している。
「自分は、佐藤不比等っていいます。」
不比等は祥子の眩しい笑顔にたどたどしく言葉を詰まらせながら、名前を名乗った。
「ふ・・・ひとさん?変わったお名前ね。それより、風邪引くから何か羽織った方がいいんじゃないかしら?それに・・・そのままだと・・・ほら・・・その・・・それが・・・。」
祥子は、視線を逸らしながら、正座している不比等を指差した。
「えっ?あ、あああ!!!お、お恥ずかしい!!!すんません!い、今から服着ますから!」

寝起きの早朝。
そして隣に下着姿の妖艶な魅力の女。

健康な男子たる不比等は、自分の失態に顔を赤くした。
「貴方の服は、そこに落ちてるわよ。あ、トイレはキッチンの横だから・・・。」
どたどたと、まるで喜劇役者の演技のような慌てぶりで自分の衣服をかき集めると、不比等はがに股でどすどすと歩きながらキッチンの方に消えていった。





 「んで、どうしたんですか、寺内さん?」
女優、寺内祥子のマネージャーは、待ちきれないといった表情で彼女の話を聞いていた。
その日、バーで獣のような男と姿を消した祥子をマネージャーの山本は心配していた。
それでなくともゴシップが多いと有名な祥子に、事務所としてもこれ以上悪いイメージをつけたくなかった。
が、男という男を通り抜けて行った祥子の次なるターゲットがどんな人間なのか、多少なりとも興味があるらしい。
「そのまま、真っ赤になって謝りながら帰って行ったわよ。」
髪の毛先を弄りながら祥子は答えた。
「あの、祥子さんの事、“あの”寺内祥子と分かっていたんですかね、その男?」
「それがね、全然知らないみたいだったのよ。」
クスッ、と上品に噴出すと、そのまま祥子は笑い続けていた。
彼女がこんなに幸せそうに笑うのは珍しい事だった。





 あの後、
「自分、昨夜の事で何かあったら、ちゃんと責任取るんで、あの、番号残しますっ。携帯なんすけど、えっと・・・。」
自身の着替えを済ませ、リビングのソファで寛ぎながらテレビを見始めた祥子に、不比等はオズオズと声をかけた。
「え?あ、わかったわ。ありがとう。」
隣に佇む大きな男を一瞥して、また視線をテレビに戻した。
熱中している振りをする。
本当は、全神経が、広々としたマンションがちんまりと見えるほど、圧倒的な存在感を主張しているこの男に反応していた。
「いや・・・だから、あの、祥子さん・・・に何かあったら何なんで、その、もし良ければ自分に番号くれたら・・・助かりますんで・・・あっ、それかやっぱし自分の番号ここに置いていきます、うん、そうっすよ、それがいい。んで、あの…何かあったらすっ飛んできますから…。あ、でもやっぱ祥子さんのも一応もらっといた方がいいっすね・・・。」
クソっと、言葉を上手く表現できない自分に苛立ちながらも、不比等はすっぽりと手の中に納まってしまいそうな小さな携帯をポケットから取り出した。





 楽屋の鏡越しに、自分の顔が緩んでいるのに気付いて祥子はフッと表情を引き締めた。
「変わった男だったわ。あれは新種のナンパかしらね?若い子の間ではああいうのが流行っているのかしら?」
祥子は小首を傾げながら呟いた。
眉根を寄せた祥子を見つめながら、マネージャーの山本は目をパチクリさせている。
「ねえ、寺内さん。僕、昨日の彼・・・あの、不比等さんとかいう人?あの人どっかで見たことあると思ってたんですけど・・・。もしかして、彼、体中に傷痕とかありました?」
「え?」
突然の質問に小首を傾げながらも、祥子は思い出そうと顔を顰めた。
「ああ・・・そういえば、なんかいっぱいあったわね…。」
痛々しい傷痕よりも、その並みじゃない隆起した男らしい筋肉の方が印象的だった。
だが、うろ覚えだったが、確かに彼の腕や足や背中に幾つか瘡蓋や痣があったような気もした。
「あの、もしかして、今話題の不比等じゃない?」
「話題?」
「ほら、あの、日本最強って言われてるK-1ファイターの。」
「K-1ファイター?」
男のロマンと豪語して熱く語る格闘技オタクの山本と違って、祥子はあまりそっち方面の知識が無かった。
もちろん、K-1位は聞いた事がある。
でも、観た事も、観たいとも思った事も無かった。
「キックボクシングと空手のテク使って、ロウキックでチクチクと相手を蹴って弱らせるのが得意なんですよ。長期戦の不比等って呼ばれてるんだから。すっごいですね!!祥子さん、あの不比等と寝ちゃったんですか???」
「え、えぇ。」
あの、情けない格好で土下座をしながらひたすら謝っていた言葉足らずの青年と、リングの上で戦うファイターというイメージが頭の中で一致せず、祥子は飲んでいたミネラルウォーターを置き腕を組んで暫く考えた。






 二日後。
結局お互いの番号を交換した、例の彼から電話が来た。
「あのっ、た、単刀直入に言います。あのっ、この間のお詫びに・・・祥子さんのお休みの日…で、で、ディナーなんてどうっすか?」
いきなり大声で。
しかもかなり緊張していたらしき彼は、どもりながら本当に単刀直入に祥子を誘った。
「ごめんなさい、休日は外食を控えているの。」
彼女の言葉を聞いて落胆したのか、電話越しでも彼の気の抜けた溜息が聞こえた。
「それなら、あの、えっと、何でもいいんで、また会っていただけないっすか?」
熱心に誘ってくる彼に、今度は祥子が驚く。
「え?えっと…。」
どうしたというのだろう?
バツ2で男という男と付き合ってきたというのに、こんな若い男の子の誘いに戸惑っているなんて。
「し、し、祥子さんの家にまた行っていいっすか?」
どもって声を裏返しながらも、不比等はそう一言吐き出した。
緊張していたのか、言い終わった後ハアハアと息を切らせている。
その姿が容易に想像できて、祥子は思わず噴出してしまった。
「いいわよ。週末はロケがないから…そうねえ…日曜日の午後はどう?あの、あなた…有名人のようだから…その、パパラッツィには気をつけて。」
「え?!祥子さん、自分の事知ってたんすか?嬉しいなあ~~。そりゃあもちろんっす。楽しみっすっ。」
「それじゃあ、また何かあったら連絡を頂戴。」
祥子はそのまま、浮かれて喜んでいる不比等との電話を切った。







 約束の日曜日。
不比等は道場かジム帰りなのかTシャツに短パン、シューズというラフな格好で訪れた。
手に箱を抱えている。
「いらっしゃい、どうぞ入って。」
どうやらコチコチに緊張しているらしき不比等をリビングに導いた。
「これ、あの、自分、今朝ジム行く前に焼いたんすけど…。」
大事そうに抱えていた箱を祥子に手渡す。
「これ…貴方が作ったの?」
箱の中にはとても野獣のような容姿の男が作ったとは思えない、可愛らしく装飾された手作りのマドレーヌが入っていた。
「もももももし、ダイエット中とかだったらすんませんっ。でも、自分、お菓子作るの趣味っていうか、好きなんすよ。それに祥子さん細いし、ちょっと位カロリーあってもいいかなって思ってバターたっぷり使って作ったんすけど。」
不比等はまたしても顔を真っ赤にしている。
暫く箱の中のマドレーヌを見て放心していた祥子は、ハッと顔を上げて微笑んだ。
不比等の顔が更に赤くなる。
「ううん、カロリーは気にしていないわ。こう見えても甘味に目がないの。ありがとう、とっても嬉しい。良かったら一緒に食べましょう。そうね、お茶にしましょうか。紅茶で宜しい?」
「いや、水でいいっす。」
そのまま祥子は箱を手に抱えてキッチンへと向かった。


 「あの、不比等さん。聞きたいのだけれど、貴方は一体何が望みなの?私と関わってもいい事ないわよ。だって私…。」
リビングルームでお茶をしながら、祥子は不比等に話しかけた。
「私、業界の人間なのよ。」
自分で作った手の平サイズのマドレーヌを3秒で平らげた不比等は、コップ一杯の水を飲み干すと祥子に向き直った。
ソファーから下りて膝をつく。
そして、深々と頭を下げた。
「すんませんっ。自分、嘘ついてました。実は祥子さんと始めて会った夜から祥子さんの事知ってましたっ。ずっと、憧れてて、ファンだったんっすよ。祥子さんがアイドルだった頃は自分、ファンクラブの会員番号3052番でしたっ。し、小学生の頃は、会費とブロマイドでお小遣い使い果たしてたっすっ。」
「あら…。」
いつもクールでポーカーフェイスの祥子の顔が赤くなった。
彼女が10代の頃アイドルとしてデビューしたという事実は、今の若い人は誰も知らない。
自分ですら長い芸能生活に埋もれて忘れかけていたのだ。
「だから、祥子さんとこうやってお近づきになれて、んで、あの、ああいう風にだけど想いを遂げることが出来て、すっげー嬉しくて…。」
感極まっているのか、照れているのか、耳を真っ赤にしたまま俯いている。
「でも、あの日朝になって後悔しちゃったんすよ。自分、もしかしたら祥子さんの事騙して傷つけてるんじゃないかって…。そう思ったら、居た堪れなくなっちゃって……。もし良かったら、あの、自分…俺、償う為に何でもするつもりっす。だから、また祥子さんに会いに来てもいいっすか?」
不比等は茹蛸のような面を下げたまま、上目遣いに祥子を伺う。
祥子は暫く黙って彼を見下ろしていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「そうだったの……。それなら、私の噂や醜聞は色々と知っている筈よね?魔性の女と言われているのよ。それに貴方まだ20代でしょう?私と関わって今が旬の貴方の格闘家としての名前を汚して欲しくないわ。」
年上の女らしく、諭すような口調である。
静かに聞いていた不比等は大きく息を吸うと、頭を上げた。
先ほどとは異なり自信に満ちた眼差しで彼女を射る。
その目は、どことなく、あの男を連想させた。
長い事彼女の心に居座り、その上彼女を振った、あの憎たらしい男。
「自分、27っすけど。でも、そんなの関係ないんすよ。祥子さんのそんな過去は黒く塗りつぶせる位の自信あるんで。振り向かせる自信ありますから。」
不比等の声は、“最強の男”に相応しく若い自信に溢れた力強いものだった。






 「それで、どうしたんですか?」
山本は運転しながらバックシートの祥子に話しかけた。
「どうもしないわ、その後二人でお茶しながら、お互いの仕事や世間話して、マドレーヌ全部食べつくして、その日はそれでお終い。」
ふふっ、と幸せそうに笑う。
「信じられないなぁ~~。あの、“最強の男”が祥子さんにお菓子つくるなんて。」
「私も、男の人から手作りのお菓子をプレゼントされたのは初めてよ。毎週毎週私の休みの日には何かしら持ってくるのよ。レアチーズケーキだとか、大福だとか、シフォンケーキだとか。それで一緒にお茶して、お話だけして、何もしないで帰って行っちゃうの。」
苦笑しながら、祥子はふと外を見た。
高速のビルボードに、よく知った男がでかでかとファイティングポーズをとっている。

『日本最強の男、佐藤不比等 VS 黒い闘牛 ゴリ・サップ 8月12日東京ドームにて対決!!』



通り過ぎるビルボードを眺めながら。
今週末彼は何のお菓子を作って来てくれるのだろうか、などと考えている祥子は
「彼の甘い罠にはまったみたいね。」
と優しい表情で独り呟いた。




<ひとこと>
仁神堂に振られた薄幸そうな女の幸せな話を書きたくて書いてしまいました。なにせハッピーエンド推奨派なもんで。男運のなさそうな彼女に春が来ますように!


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