「もしもし?!良かった、通じた。翠さん、あたし、小俣です」
「あ、ミーナさん。どうしたんですか?」
明らかに驚いた声音で、翠さんは応じる。
「あの……タロと連絡を取りたいんですけど。タロの携帯…何故か繋がらなくって」
「え?山田ですか?ちょっと待ってください」
少し間を空けて翠さんは続ける。
「あれ、居ないなぁ……さっきまで居たのに。いま、寮で祝賀会も兼ねて打ち上げしてるんですけど。なあ、山田知らねぇーーーー?」
電話の向こうで、誰かに大声で尋ねる。
「あ、なんかパーティー抜けて独りでプール行っちゃったみたいなんすけど」
一言二言その誰かと言葉を交わすと、翠さんはあたしにそう伝える。
「W大のプールって、部外者入れますか?ちょっとタロに……今夜中に会いたいんですけど…」
ああ、あたしいつも翠さんに無理言ってる。
大迷惑かけっぱなしだ。
「ええーと…誰か生徒が付き添いじゃないとー中へは……」
翠さんは困ったように言葉を濁す。
やがて意を決したように一気に続きを吐き出した。
「いいっすよ。丁度飲みすぎで外の空気も吸いたかったし、W大の総合体育館の前でミーナさん待ってます」
「ほんっとに、スミマセン。いっつもいっつもいっつも翠さんにご迷惑かけて。今度、本当にお礼させてくださいね」
あたしは、本当に申し訳なくて、電話越しなのに何度も頭を下げてしまう。
「じゃあ、お礼はミーナさんの体で……なーんて嘘っすよ!ははははっ」
一瞬青ざめたあたしを知ってか知らずか、翠さんは豪快に笑う。
電話を切ったあたしは、即行流しのタクシーを拾った。
体育館の前では翠さんが誰かに電話をしていた。
あたしを見つけると、手を振って「ピ」と切る。
「電話を買う時間あったんですか、今日?」
あたしは翠さんに駆け寄って、新しい携帯を指差す。
「山田にぶっ壊されたって確かミーナさんに言いましたよね?知り合いが今日新しいの買ってきてくれました。携帯ないと不便すよ」
「あたしもタロも、ほんっと翠さんに迷惑ばっかかけてるみたいで……」
「全然迷惑なんて思ってませんよ」
星空の下の翠さんは、相変わらずそこだけ照らされたみたいにキラキラとオーラが輝いてる。
若いからなのか、それがこの翠さんの個性なのか、生命力とパワーにみなぎった何かを纏っている。
タロも......彼女と同じような精力に満ちたオーラをいつも解き放っている。
これがアスリートの特性なのかな?
「俺…あ、自分の事『俺』って呼んでいいですか?あたしとか使ってると、やっぱすっげーこそばゆくって。こんなナリだけど一応女だし、相手が不愉快になんないように初対面の人には気を使ってんですけど。でも俺の方が言い易いんですよね」
そこまで言って一旦言葉を止め、翠さんは自身の携帯を穿いているジーンズの後ろポケットの中にしまい込む。
「お2人の間に何が起きてるのか全然知りませんけど、俺、山田とミーナさ んの関係上手く行って欲しいんすよ。なんか…なんでか分かんないですけど」
頭を掻きながら、困ったように翠さんは照れ笑いを浮かべた。
あ。
何となくだけど、翠さんがあたしに心開いてくれていってる…ような気がした。
何故だか一人称を『あたし』から『俺』に切り替えてくれた事が嬉しかった。
「じゃ、さっさと中へ入りましょう。免許証かなにか持ってますか?受付で名前と電話番号記入しなきゃいけないんで」
あたしと翠さんは、中へ入った。
「山田っ」
体育館の中に入れても、プールの中には水泳部の関係者か、水着を着用した人しか入れなかったので、翠さんがタロを探し出して声をかけるのをあたしはガラス張りになっている外から眺めていた。
プールから這い上がって、水を滴らせているタロは……。
み、認めたくないけど、すんごいセクシーだ。
相も変わらずモデルのような逆三角形のパーフェクトボディ。
水も滴るいい男……なんてタロを見て思ってしまう日がまさか来るなんて。
あたしが見ている相手は、ぶるっと体を震わせてプールの中のベンチの上のタオルを拾う。
キャップとゴーグルを外ずして髪をかき上げると、タロは翠さんが指差しているこっちを振り向いた。
口をあんぐりあけて、目を見開いている。
まさかのあたしの存在に、明らかに驚いている。
あたしは、平静を装って、にこやかにタロに手を振った。
プールから駆け戻ってくると翠さんは、
「山田今ロッカーから出てくるんで、ちょっと待っててくださいね」
とあたしの肩を叩く。
「あの、ほんとっ、色々どうも有難う御座いましたっ」
深々と頭を下げるあたしに、
「今日は色々と決戦の金曜日みたいっすね。頑張ってください」
バチッとウインクを送ると、踵を返して後ろ手でピースサインを作って出口へ消えた。
「何でミーナ…ここに居んのー?」
タロはまだ目の前のあたしを信じられない、といった顔で見つめる。
「あの眼鏡はぁ?」
何度か瞬きすると、鼻の頭をポリポリ掻きながら複雑な表情で訊ねる。
「うん。フってきた」
あたしは小さく微笑みながら、ハッキリと答えた。
タロはキョトンとしている。
「……何で?」
心なしか、タロの声が掠れてる。
「やっぱオッサンとはあたし無理みたい。坂口さんはオッサンって言うほどの年齢じゃないけど」
タロの質問に答えるなり、あたしはグイッとタロに抱き寄せられた。
ポタポタとタロの濡れた髪から雫が落ちる。
水から上がりたての塩素の臭いと、タロのひんやりした体に包まれる。
「あのね、この結論...というか、坂口さんに至るまで色々と経緯があって...」
出会い系のネットサイトの男達とかさ。
タロはあたしの言葉を遮る。
「経緯なんて別にいいよ。俺、聞きたくないしっ。でも、何でキザやろ…眼鏡とは無理だったのー?」
あたしの髪に顔を埋めながら、タロが問いただす。
「坂口さんは……相手としてぜんっぜん不足なくってパーフェクトだけど……」
「けど?」
「タロじゃないんだもん。気付くと坂口さんの言う事やる事タロと比較しちゃってて、なんかしっくりこなくって……」
「んで?」
「そんで、気付いた。なんかあたし、タロがいいみたい」
ぎううっ、とあたしを抱くタロの力が強くなる。
「あ、あのさ、タロ、ここ公衆の面前だしっ、場所も場所だし……ちょっとこういう抱擁は……」
タロ越しに野次馬達の視線が気になって、あたしはオロオロする。
「ヤダっ。やっと捕まえたんだもーんっ。俺、超嬉しいっ!!!!」
言いながら、あたしに廻した手を少しだけ緩めてくれる。
ああっ、完璧月9状態。
多分怒涛のエンディングに向かう前の挿入歌が入るあたり。
ただ、1つだけ違うのは……。
あたしの腹部に当たっているタロのご子息が、ぐぐぐぐっとジャージ越しに覚醒反応を示している事だ。
ひゃあああああっ。
たかがハグでっ。
わ、若いっっっ!
やがてタロは体を離して、照れながらあたしを正視する。
「すっげー好い匂いなんだもーん。ミーナのせいだかんねっ」
言うなり、柔らかなキスが降ってきた。