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ケッセンは金曜日    05.21.2007
 その部屋は、東京タワーが見える高層マンションの一室だった。
赤と青のコントラストを成している夕陽をバックに、東京タワーが眩しく輝いている。
窓からの景色そのものが、額に入った絵のような美しさ。


「実家を引き払ったら...景気が良いので思った以上の値がついたんです」
坂口さんは、あたしに白ワインを手渡しながらそう説明する。
「新しい生活を始めるには、まずまずの場所かなと思いまして」



恵比寿で待ち合わせをすると、そのまま彼は自宅へ招待してくれた。
「水名子さんのお口に合うかどうか心配ですが......」
料理が得意だという坂口さんは、あたしにディナーをご馳走してくれるという。
男物の黒色腰巻エプロン姿の彼は、用意しておいたのかトマトとモッツァレラとバジルを挟んだサラダをテーブルに置いた。

あたしのオンボロアパートとは大違いの、2LDKのマンションの21階。
しかも、新築らしく仄かにフローリングの木の香りが漂う。
部屋の中はまるでインテリア用の雑誌から出てきたような、棚の本1冊の積み上げられ方まで計算しつくされた、完璧な装飾。
もちろん、足の踏み場の無い誰かさんの部屋とは雲泥の差で、上品なイタリアン家具の上には埃どころか塵一つ見当たらない。


「美味しーーい」
あたしはサラダを食べて思わず頬を緩める。
「良かった」
と坂口さんは微笑み、魚とパスタを調理し始めた。
「イタリアのナポリの水は最高なんです。ピザを作るにも、パスタを茹でるのにも適しているんです。町は...ものすごく汚いのですがピザなんて一回食べたら今まで自分が食べてきたピザは何だったんだ、と思うようになりますよ」
「坂口さん、イタリアに行かれた事おありなんですか?」
「仕事の関係で」
「あたしはローマとか北しか無いですねー。ローマのピザも美味しいですけど」
ぷう~~ん、と部屋の中に魚介類の良い匂いが充満する。

匂いを嗅ぎながら、ふと思い出す。
タロは......あたしにニラ臭い中華料理作ってくれたっけか。
庶民的な味でとても美味しかった。
2年前は、帰郷したあたしにわざわざ餃子を作ってくれた。
あれも、あたしの大好物だ。

「あの水が手に入ったら僕のパスタももっと美味しくなるんですけどね」
魚一匹丸ごとグリルしたものを、トマトとオリーブオイル風味のソースと絡めたボンゴレパスタに添える。

「ちょー美味しそう!」
思わずタメ語になってしまう。

茄子とピーマンのグリルのマリネも一緒に運んでくると、坂口さんはダイニングテーブルのあたしの前に腰掛けた。

食事を楽しみながら。
「あの、これを見ていただけますか?」
坂口さんはあたしに一枚の写真を差し出した。
明るそうな美人の女の子。いや、女の子というより...女の人。
思い当たる人物は1人しかいない。
「メグさん......ですよね。やっぱあたしの予想通り美人だったんですねー」
「23の時の写真です」
坂口さんは優しく答える。

「人の人生って、長いようで短いものですよね。誰も明日何がおきるか分からないじゃないですか。その分、自分の運命分かってたメグさんは短いながらも有意義な人生だったんでしょうね」
「それは、僕も思います。死を覚悟して生きる人間は…物事の捉え方が貪欲で、ポジティブで、全然違いますよ。恵は欲しい物を常に知っていた」
「でしょうね」

あ。
どこかで聞いた台詞だ。
タロの犬顔が再びあたしの脳裏を過ぎる。


コトン、とあたしはパスタを絡めていたフォークを置く。
「坂口さん......やっぱこれって、少し性急しすぎると思うんですよ、あたし」
あたしはしっかりと坂口さんを見据えて、そう口に出す。
「水名子さんがご迷惑ならばゆっくりと時間をかける事も出来ますよ。ただ、お互いにそれなりの年齢ですし、僕は何かを始めるには丁度いい時期に入った、と思っているんです」
坂口さんもフォークを置き、口をナプキンで拭う。

ああ、やっぱ違う。
何が違うんだろう。
タロだったら、と思ってしまっている自分に気付く。
タロだったら、
「歳なんて関係ないと思うゾー」
って料理食べながら、口をモゴモゴさせながら、ちょっと拗ねた感じで反論して…。

あたしは頭を振ってそのイメージを拭う。

「そうですよね。あたしもこの歳になって、田舎に帰ると周りがやれお見合いだの縁談だの勧めてきて、大迷惑なんですよね。ほんっと、腰を落ち着けなきゃとは思っているんですけど...」
坂口さんは無言で立ち上がる。
テーブルを回って、あたしの横に跪く。

え?え?え?

「あの、水名子さん。僕は名誉挽回がしたいんです。汚名を返上したいんです。もうあの夜のように、手荒な事は決してしないと誓います。水名子さんを......もう一度抱きたい」
坂口さんの手があたしの顎にかかる。

どきゅーーーーーーーーーーんっ。
うわあああああああ、キターーーーーーーーーーーーーーーーーーっ。


かああああっ。
と真っ赤になるあたしの顔。

正直になりなさい、水名子。
あたしは自分に語りかける。

嫌いじゃないでしょ?こういうシチュエーション?
こういう大人風味の展開をずーっと望んでいたんじゃないの?

もし、ここであたしが『ヲタ芸』とか披露したら坂口さん幻滅するかな?
あいーん』とかしてみようかな。

ああっ、あたし混乱してる。
馬鹿なこと考えてる!
オカシクなってる!

いや、あたしこのシチュエーションを打開する方法探してる!

フワッと坂口さんの唇が重なった。
前回の性急さとは程遠い、静かなキス。
「眼鏡が邪魔ですね...」
一度押し付けた唇を離すと、坂口さんは眼鏡を外す。

ああっ、やっぱこの人イケメンだ。
眼鏡の奥の素顔は、男の性的魅力に満ちた、超バリイケ(注:水名子語で、超バリバリイケメンの略)だ。

なのにあたしの脳裏には、あのへタレな犬顔がチラつく。



「だ、駄目ですっ!」
あたしは反射的に坂口さんを押しやっていた。
「......水名子さん?」
坂口さんが静止する。

「やっぱあたし駄目です。坂口さんとは時期が悪すぎましたっ。今、それが分かりました」
押しやったまま、頭を下げたまま、あたしは釈明する。

「…と、言いますと?」
「ほんと、馬鹿はあたしなんです。多分あたしの人生で一番大きくて、一番馬鹿な決断下しちゃったと思ってます。坂口さんほど理想の人、もう今後あたしの人生で絶対現れないっていうのは百も承知です。だけど、もう変えられない!」
あたしは言うなりショルダーバックを探して拾い上げる。

坂口さんは、落胆したように小さく息を吐いて再び眼鏡をかけた。
「それは、僕の過去に関係している事ですか?それとも…?」
「メグさんの事でしたら、全然違います!むしろ彼女との関係から一歩前進する事が出来た坂口さんの事、凄いなあ、尊敬するなあ、って思ってます。それに過去の事言うならあたしなんてどす黒くて馬鹿な経験ばっかで、顔を上げて歩くのも恥ずかしいくらいで…っ」
「あの少年が原因ですか?」
一瞬戸惑って、あたしは言葉を探す。
「…多分、いえ、あたしが原因です……。あたしがしっかり物事見えてなかったからっ」

上辺だけを見てて何にも本質掴んでなかったから。



あたしをじっと見ていた坂口さんが寂しそうに微笑む。
「ベイブリッジの話、覚えていらっしゃいますか?」


胸が痛い。同情...いや、罪の意識を感じる。
もう、ここには居られなかった。

「あの、ご飯美味しかったです。有難う御座いましたっ。ほ、翻訳書類は翻訳終えましたら後日坂口さんに必ず送付しますので......。ご、ご馳走様でしたっ」

あたしは坂口さんに向き直って深々と頭を下げる。




本当にゴメンなさい。


あたしは坂口さんのマンションから出ると、携帯を取り出した。



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