「やめろよ、恥かしい~~~!」
とガラスウィンドウにべったり貼りついているタロを引き剥がす。
「今のアレ、例の?」
坂口さんが怪訝そうに眉を顰め、親指で外を指す。
「山田太郎です。スミマセン、騒々しくて」
隣の友人に二言三言何か話して、タロは小走りにカフェの店内に入ってきた。
今日のタロは、ジャージにジーンズという、いたって普通の格好だ。
野球帽をジーパンの後ろポケットに突っ込んでいる。
「ミーナ、ゴメン、俺謝りたかったんだずーーーーっと。この間の......ムゴッ」
何を言い出そうとしてるの、この子はあ!
ましてや坂口さんの前で
『ミーナの裸みちゃってゴメンねえーっ』
なんて口を滑らせかねない!
手で急いでタロの口を塞ぐと、坂口さんに向き直る。
「坂口さん、これが山田太郎です。タロ、この方が......」
「あーーーー、この間のアキバだあ!まだこんな根暗そうな奴と会ってたのかー!」
タロは不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、坂口さんをニラむ。
「タロ、知らない人に向かって失礼でしょ!スミマセン、坂口さん。この子、口の利き方知らないんです。アホなんですっ」
ああ、なんであたしがフォローしてんの?
「行こうか、水名子さん」
坂口さんはあきれたように首を横に振り、あたしの腕を取る。
バゴッ。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"~~~~~~~ミーナに触ってんなゴラア!!!」
タロはそう叫ぶなり、坂口さんに頭突きをお見舞いした。
勢いで、坂口さんの眼鏡が吹っ飛ぶ。
坂口さんはおでこを抑えてフラフラとテーブルに寄りかかった。
「ミーナはなあ、10年以上も前から俺のモンなんだから、俺の許可無しで触るんじゃねえよっ!!!ぶっ殺スぞおっさん」
ひええええええぇぇぇ~~~~目がスワッてる。コメカミの血管浮き出てるぅ~。
「行くよっ、ミーナ!」
タロがあたしの手を取った。
が、あたしはその手を振り切る。
「ちょ、ちょっと待って!」
そして、タロに向き直る。
「何様なのあんた?ちょっと夕飯ご馳走してやったからって、いい気になるな。調子こいて彼氏面?いい加減にしなさい。暴力なんて子供のする事でしょ?そして、坂口さんに謝りなさい」
タロは驚いたように目を見開いて、あたしが振り切った手を握り締めて拳を作る。
「人の恋路を邪魔する権利、あんたにはないでしょ?誰と何処で何をしようと、あたしの勝手です。大丈夫ですか坂口さん?行きましょっ」
あたしは、坂口さんの眼鏡を拾い上げて彼に手渡し、お財布から1万円を取り出してテーブルの上に置いた。
フラフラしている坂口さんを引っ張る。
カフェの中の全客の視線は、この乱痴気騒ぎにくぎづけだ。
小さくコソコソ「あれ、水泳の...?」とか「山田太郎じゃないの?」とか言い合っている。
もうさっさと、こんな所オサラバだ。
「じゃあ、どーすればいいんだよっ、俺!」
タロの横を通り過ぎると、タロは穿き捨てるように叫ぶ。
「いっつもいっつも子ども扱いで、ミーナは俺がどんな思いしてたか知らないだろ?俺、ずっとミーナに追いつきたかった。ミーナと同じレベルになりたかった。東京来て、やっとミーナに追いついた、近づいたと思ってたのに、調子こいて何が悪いんだぁ!!!」
その言葉を最後に、あたしと坂口さんは店を出た。
「随分と想われていらっしゃるようですね、あの子供に」
車の中で曲がった眼鏡を直すと、坂口さんは早速切り出した。
「スミマセン。ほんっとに...」
それ以上に返す言葉が無くて、あたしはうな垂れる。
「元気がいいですね、最近の若者は」
坂口さんは前髪を上げて、バックミラーでオデコの腫れをチェックする。
タロの頭突きを受けた場所は赤く腫れてる。
「あの...うちで氷かなんか取って行きますか?」
「いえ、その必要はないでしょう。あの子も加減をしていたようだ。そんなに酷くはないようです」
再度身だしなみを整えると、坂口さんはアクセルを踏んだ。
「僕は28で卒業するまで関西の大学院に行っていたので、なかなか横浜の恵と会う時間が無くて...一度恵が病院を抜けて京都に住んでいた僕に会いに来たんです」
前方を見ている坂口さんの眼鏡の奥の目が、うっすらと細まる。
車が走行している間、坂口さんは言葉少なげに、でも淡々と身の上話をしてくれていた。
タロのせいで自分が怪我したのに、あたしが慰められて、どうすんだろ?
「恵さんって、大胆な方なんですね」
フッ、と鼻先で笑って坂口さんは続ける。
「あの子の行動を見ていると、あの時の恵を思い出してしまいましてね。大学の研究室に乗り込んできて、『お兄ちゃんの馬鹿!メグがどんな想いで待っているのか知らないんでしょ?』と泣き叫んで、それはもう大変でした」
周りに人が居たら...あたしだったらかなーり慌てただろうな、そのシチュエーション。
だって兄妹で、恋人同士で、んで周りにはもちろん極秘だろうし...。
「恵は僕に女が出来たと勘違いしていたらしい。そんな事有り得ないのに」
坂口さんは自嘲気味に微笑む。
「さっきのあの子も、自分の縄張りを主張する野良犬みたいな目をしていましたね。もし、僕達が......」
坂口さんは、そこで言い淀み、すうっと息を吸う。
あ、テレパシーを感じた。
この人の感じている事、思っている事が手に取るように解る。
初めて会った時から、坂口さんはあたしの考えが読めているようだった。
いや、もしかしたらあたしが単に解り易いリアクションしてるだけかもしれないけど。
でも、なんでだろ?
あたしも同じだ...。
坂口さんが吐き出そうとしている言葉の続きを、あたしが先に声に出した。
「もしあたしと坂口さんがもっと違う時期に出会えていたら、何かが違っていたかもしれませんね」
坂口さんはあたしの家に着くまでずっと無表情のまま、前方を見て押し黙ったままだった。